ピエタ【完結】

竹比古

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POSITION・3 ナターレ

ナターレ 3

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「……薬の量を減らして行くんだ。禁断症状を抑えるだけの処方量に。そして……薬が必要なくなったら、北欧へ行こう」
 フィンの髪を指先ですくい、サルヴァトーレは優しい眼差しで、そう言った。
「え……?」
 再び、思いがけない言葉を聞いたように、フィンが瞳を持ち上げた。
 愛されることを望んではいなかったのだ、彼は、きっと――。でなければ、優しい言葉に、それほど戸惑うはずもない。
 酸っぱいリンゴを投げ捨てた時の様に、出来るだけ早く、出来るだけ遠くへ、彼は愛されることも生きることも、投げ捨てていた……。
「一年か、二年か……。苦痛が少ないように薬を抜いて、白夜を見に」
「……」
「それまでは必ず私の側にいるんだ。一人で薬をやめるのは難しい。――約束出来るな?」
 サルヴァトーレは訊いた。
「真夜中の太陽……」
「ああ」
 小さな呟きに、明日を見ることの出来る燈りが、灯った。
 だが、それは決して、容易なことではあり得ないだろう。薬のもたらす禁断症状は、激しい痙攣や発汗も含めて、弱い者の心身を蝕んで行く。
「もし君が約束を破ったら――私以外の人間から薬を手に入れたら、私は君を殺す」
「――」
 殺す――。その、わずかの淀みもない厳しい言葉に、フィンの面が、碧く、凍った。
「その時は、もう君は人間ではない」
 白い夜……。
 彼の国には、真夜中の太陽と、闇の光が存在するという。夏は太陽が沈まず、太陽の昇らない闇の冬には、光の幕が、時折、降りる。
「……ずっと前からあなたを知っていた」
 広く心地よい胸の中で、フィンが静かに口を開いた。
「ずっと前?」
「小さい頃から……。新聞にあなたの写真が載っていた」
「ああ。襲撃事件の時か」
 苦笑を零し、サルヴァトーレは、過去の失態に唇を歪めた。
「あなたに逢いたかった……」
 すがるような瞳が、持ち上がった。それは、何も言えなくなるほどの、切ない響きをも、含んでいた。
「撃たれた時、痛かった?」
 胸に残る弾痕に口づけるように、フィンは訊いた。
「いや。痛みは感じない。衝撃があって、撃たれたことだけは判ったが――。しばらくして痛み出した」
「……死ぬのは怖くない?」
「人を殺していれば、いつかは自分も殺されるさ」
「いつ殺されるかも知れないのに、マフィアに?」
「フッ。自分のことは話さないくせに、人のことは訊きたがるんだな」
「……」
「私は手が血に染まるのを楽しんでいる訳じゃない。世の中には馬鹿な連中が多すぎるんだ。だからこそ、それを抑える人間が必要になる。――権力者が何をしてくれる? 市民の盾になってかばってくれるか? 皆、見て見ぬフリをするしかないのさ。シチリアじゃ、犯行現場に居合わせた人間でさえ、誰一人として名乗りを上げない。マフィアに逆らっても、警察は守ってくれないからだ。十人の護衛を付けたところで、マフィアはいとも容易く密告者を殺す。そのマフィアを見て、何もしない連中は『酷い奴らだ』と言う。言うだけで何もしないんだよ。見ているだけだ。自分の手を血で汚したくはないからな。――だが、汚いものを抑えるには、自分の手を汚さなくてはならない。それが嫌な奴らは傍観者になって、文句だけは一人前にタレる。――私は自分の手が汚れるのを気にしない。誰かが抑えなければ、汚泥は今以上に溢れ返る。上に立って馬鹿な奴らを抑える人間が必要なんだ。だから、私が手を汚してそいつらを抑える。何もしない連中が私のことを何と言おうと、私は全く気にしないさ」
 サルヴァトーレは、強かな瞳でそれを語り、血塗られた手を、光に翳した。
 夜に灯る聖なる光が、それを鮮やかに照らし出す。
 フィンの瞳が、その強さに焦がれるように、緩やかに、霞んだ。
 ナターレの夜に、罪人つみびとたちの温もりが、触れて、溶ける。不思議なほどに暖かく、今までにないほどに穏やかに。――そう。それは決して、今までに得ることの出来なかった、心地よい安らぎだったのだ。
 誰よりも心を落ち着かせてくれる存在。
 誰よりも心を柔らかく溶かしてくれる存在。
 彼らは今、それを手に入れたのかも、知れない……。


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