ピエタ【完結】

竹比古

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POSITION・2 ローマ

ローマ 1

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 ガラスの箱の中で、白大理石のマリアが、十字架から降ろされたキリストを、膝の上で、抱いて、いる。
 サン・ピエトロ大寺院に佇むそのマリアの表情は深い哀しみを湛え、五〇〇年近く経った今も、人々の心を打ち続けている。
 クリスマスナターレの休暇を兼ねて、シチリアからローマへと訪れた一日、サルヴァトーレはフィンを連れて、そのピエタの前に立っていた。
「ローマに来た時はいつもここに?」
 ピエタ像の前に留まったままのサルヴァトーレを見上げて、フィンは訊いた。
「ああ」
 母を思い出す、のだ。このピエタを鑑る度に、哀しげな表情でサルヴァトーレを見つめていた母の姿を……。
 あれは、まだサルヴァトーレが幼い日のことだっただろうか。

『ごめんなさい、サルヴァトーレ……。もうあの人とは暮らせない……。あなたのことだけが心配なの、サルヴァトーレ……』
『かーさま?』
『大きくなっても危険なことはしないで……。母様はもうあなたには会えな……。ごめんなさい……。ごめ……なさ……』
『かーさま? どこに行くの、かーさま? いやだっ。ぼくもいっしょに行く! かーさまっ。かーさま―――― っ!』

 それ以来、サルヴァトーレが母の姿を見ることは、一度も、なかった。幼いその日から、一度も……。このピエタのように母の膝に抱かれることも、優しい小守唄を聴くこともなくなったのだ。
「――そんなにピエタが好き?」
 不意に――いや、当人にはそんな積もりはなかっただろうが、それでも、ピエタに見入っていたサルヴァトーレには、充分不意を突く形で、フィンが言った。
 サルヴァトーレは、ハッとして幼い日の記憶から、抜け出した。
 傍らでは、フィンが全てを見透かすように、小さな顎を持ち上げている。
 その面貌に、刹那、幼い日に見た母の姿が重なった。木洩れ陽のような金髪や、海を臨む青碧珠サファイアの瞳に――。
 初めて彼に逢った日も、そうだった、のだ。あの日も、このピエタを鑑た帰り、だった……。
「ピエタを鑑ている時は、この煩い観光客の声も気にならないみたいだね」
 白い唇だけを使って、フィンが言った。
「……。そろそろ行こう。退屈だろう」
 時計を見ると、このピエタの前に立ってから、すでに二十分が経っていた。
 幼い日の思いを振り払うように、サルヴァトーレはフィンを促し、サン・ピエトロ大寺院を後にした。
 白い柱列に囲まれる楕円形の広場には、冬の光が落ちて、いる。
 バチカン市国――。
 ここは、日比谷公園の三倍の大きさしかない、世界最小の独立国であり、カトリック教徒の総本山として機能し、ローマ管轄区域でもなく、況してやイタリア領でもない異国として、テベレ川を隔てるローマの中心地の向こう側に存在している。
 黒塗りのリムジンが、滑らかな動きで、二人の前にゆっくりと、止まった。
 運転手が降りて、ドアを開く。
 それを見てリア・シートに乗り込むと、周りのボディ・ガードの車と共に、再び緩やかに走り出した。
 リア・シートは広く快適に設けられ、二人掛けのゆったりとしたシートも、充分な空間とひじ掛けに形造られている。
「どこへ行きたい? ナターレクリスマスはゆっくり過ごすとして、行ってみたい処もあるだろう?」
 真ん中のひじ掛けに頬杖をつき、サルヴァトーレは、向かいに腰掛ける白い少年に、問いかけた。
「どこでも。あなたがいれば」
 シートに凭れて、フィンは言った。
「薬を持っているから、か」
「薬がないのは……耐えられない」
「……」
 永遠の都、ローマ――。
 広場を後にすると、すぐにローマの区域に入る。


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