5 / 24
POSITION・1 シチリア
シチリア 5
しおりを挟む
頬杖の上で、あの日のことを思い出していると、ノックもなしに、ドアが、開いた。
姿を見せたのは、あの秋の日にローマで拾った少年。
しかも、裸で。
眩しいほどの白い裸体が、視界の中に、入り込む。
ベッドから抜け出して来たままの格好、なのだろう。
惜しげもなく肌をさらす少年を見て、廊下を渡るメイドたちが、頬を染めて、逃げて行く。
こんなことも、部下がその少年を嫌う要因だったかも、知れない。
「いつからこの屋敷は海岸になった、フィン?」
サルヴァトーレが冷ややかに訊くと、
「おはよう、シニョーレ.サルヴァトーレ……」
フィンはそんなことなど気にも留めていないようで、デスクの前へと足を、進める。
「こんな時間に起きて来て『おはよう』か。次はそのまま昼寝か?」
デスクの上の時計の針は、すでに十一時を指して、いる。
「薬……くれないか?」
眉を落として、フィンは言った。
無気力な口調であることが、彼が麻薬中毒者である裏付けだった。
「食事は?」
「朝は要らない」
「……。こっちへおいで」
デスクを回って自分の傍に来るように促すと、フィンは素直に従った。すぐに薬をもらえると安堵したのだろう。そんな表情が読み取れた。
込み上げて来るものは怒りだった。
サルヴァトーレは腕を振り上げ、フィンの頬を打ち据えた。
「くぅ――っ!」
苦鳴が上がり、フィンの体がサイドボードまで吹き飛ばされる。
床に崩れ、打たれた頬は、衝撃に痛々しく歪んでいた。愛らしい面も、突然の暴力に強ばっている。
「今度、裸で屋敷の中を歩き回ってみろ。その腐った脳天に鉛弾をぶち込んでやる」
頬を押さえて蹲るフィンの姿を厳しく見据え、サルヴァトーレは冷淡な眼差しで吐き捨てた。
だが――。
だが、フィンは、脅えもせずに、その面貌を持ち上げた。
「……シチリアの血は情熱的だな。これじゃあ、あなたのモノをくわえようにも、痛くて口が開かない」
と、自嘲のように、唇を、歪める。
彼は、もう脅えることも出来ないほどに、無気力になっているのかも、知れない。
「ハッ。大した口だ。――麻薬中毒者の末路がどんなものか知っているか、フィン? 身も心もボロボロになって死ぬだけだ。最初は吸煙から始めた奴らも、すぐに皮下注射を覚えて腕に針を突き立てる。そして、君のように静脈注射をやり始める。皮下注射とは比べものにならない快楽だからな」
「最初の一回だけだよ……。二回目からはくだらない。二度と同じ陶酔にはならない……」
「それでも皮下注射に戻す積もりはないだろう?」
「……」
「量が増え、回数が増え、その内、注射針を射てる血管もなくなる。静脈は石みたいに硬くなり、針も射さらない。あとはボロボロになって死ぬだけだ。理性も何もあったもんじゃない。静脈注射常習者は、畜生みたいに裸のままでのたれ死ぬのさ」
止めを刺すような残酷な言葉で、サルヴァトーレはフィンの裸体を見下ろした。
だが――。
だが、そんなことにも屈辱を覚えないのだ、彼は。
「……。欲しいんだ……。薬……」
「……」
「早く……抱いてくれないか……? 薬……欲しくて……」
と、視線を横に逸らしたまま、苦しげな面貌で、訴える。
麻薬中毒者は皆、そうなのだ。
「生憎、今、君の相手をしている暇はない」
サルヴァトーレは、憫れみをかけるほどの偽善も示さず、デスクの中から、銀色のピルケースを取り出した。
「腕を出せ」
と、中の注射器を取り出しながら、淡々と言う。
フィンの表情が、ホッ、としたように、柔らかく、変わった。
白い腕を、サルヴァトーレの前に頼りなく差し出し、注射器にヘロインが吸い上げられて行くのを、じっと見ている。
いつもと同じ手順で、消毒した肌に、細い注射針が、沈んだ。
浮き上がった静脈から、注射器に逆流する赤黒い血が、両手を掲げて水の中を泳ぐ人魚のように、ヘロインの海を巡って、溶ける。
プランジャーが、沈んだ。
ヘロインが、ゆっくりと静脈へと、浸み込む。
一杯に沈んだプランジャーは、麻薬に溺れる者の苦痛を、和らげた。
針が肌を離れ、アルコールを含ませた脱脂綿が、腕に、乗る。
「グラーツィエ……。グラーツィエ、シニョーレ……」
フィンの表情が、恍惚と解けた。汗の滲む面を少し緩め、遠のく苦痛に酔うように、柔らかく瞳を閉じて、いく。
「上着を貸してやろう。部屋まで着て戻るんだ」
デスクを立ち、サルヴァトーレは着ている上着を脱いで、フィンに放った。
大きな上着を肩に羽織るフィンの姿は、まだ本当に幼さを留める少年、だった。成長途上にある不完全な姿である。それは、不完全であるだけに不憫ですら、あった。
フィンが部屋を後にすると、廊下の隅に立つメイドたちが、声を潜めて囁き合った。
「旦那様は、どうしてあんな少年を置いていらっしゃるのかしら?」
「随分きれいな子だけど、サルヴァトーレ様が、なんてショックだわ。憧れていたのに」
「私だって。あんな素敵な方、その辺りにはいないもの」
「あの方を見ていたら、他の男なんてつまらなく見えるわよねェ……」
その囁き合いは、フィンの姿が見えなくなっても、続いて、いた。
姿を見せたのは、あの秋の日にローマで拾った少年。
しかも、裸で。
眩しいほどの白い裸体が、視界の中に、入り込む。
ベッドから抜け出して来たままの格好、なのだろう。
惜しげもなく肌をさらす少年を見て、廊下を渡るメイドたちが、頬を染めて、逃げて行く。
こんなことも、部下がその少年を嫌う要因だったかも、知れない。
「いつからこの屋敷は海岸になった、フィン?」
サルヴァトーレが冷ややかに訊くと、
「おはよう、シニョーレ.サルヴァトーレ……」
フィンはそんなことなど気にも留めていないようで、デスクの前へと足を、進める。
「こんな時間に起きて来て『おはよう』か。次はそのまま昼寝か?」
デスクの上の時計の針は、すでに十一時を指して、いる。
「薬……くれないか?」
眉を落として、フィンは言った。
無気力な口調であることが、彼が麻薬中毒者である裏付けだった。
「食事は?」
「朝は要らない」
「……。こっちへおいで」
デスクを回って自分の傍に来るように促すと、フィンは素直に従った。すぐに薬をもらえると安堵したのだろう。そんな表情が読み取れた。
込み上げて来るものは怒りだった。
サルヴァトーレは腕を振り上げ、フィンの頬を打ち据えた。
「くぅ――っ!」
苦鳴が上がり、フィンの体がサイドボードまで吹き飛ばされる。
床に崩れ、打たれた頬は、衝撃に痛々しく歪んでいた。愛らしい面も、突然の暴力に強ばっている。
「今度、裸で屋敷の中を歩き回ってみろ。その腐った脳天に鉛弾をぶち込んでやる」
頬を押さえて蹲るフィンの姿を厳しく見据え、サルヴァトーレは冷淡な眼差しで吐き捨てた。
だが――。
だが、フィンは、脅えもせずに、その面貌を持ち上げた。
「……シチリアの血は情熱的だな。これじゃあ、あなたのモノをくわえようにも、痛くて口が開かない」
と、自嘲のように、唇を、歪める。
彼は、もう脅えることも出来ないほどに、無気力になっているのかも、知れない。
「ハッ。大した口だ。――麻薬中毒者の末路がどんなものか知っているか、フィン? 身も心もボロボロになって死ぬだけだ。最初は吸煙から始めた奴らも、すぐに皮下注射を覚えて腕に針を突き立てる。そして、君のように静脈注射をやり始める。皮下注射とは比べものにならない快楽だからな」
「最初の一回だけだよ……。二回目からはくだらない。二度と同じ陶酔にはならない……」
「それでも皮下注射に戻す積もりはないだろう?」
「……」
「量が増え、回数が増え、その内、注射針を射てる血管もなくなる。静脈は石みたいに硬くなり、針も射さらない。あとはボロボロになって死ぬだけだ。理性も何もあったもんじゃない。静脈注射常習者は、畜生みたいに裸のままでのたれ死ぬのさ」
止めを刺すような残酷な言葉で、サルヴァトーレはフィンの裸体を見下ろした。
だが――。
だが、そんなことにも屈辱を覚えないのだ、彼は。
「……。欲しいんだ……。薬……」
「……」
「早く……抱いてくれないか……? 薬……欲しくて……」
と、視線を横に逸らしたまま、苦しげな面貌で、訴える。
麻薬中毒者は皆、そうなのだ。
「生憎、今、君の相手をしている暇はない」
サルヴァトーレは、憫れみをかけるほどの偽善も示さず、デスクの中から、銀色のピルケースを取り出した。
「腕を出せ」
と、中の注射器を取り出しながら、淡々と言う。
フィンの表情が、ホッ、としたように、柔らかく、変わった。
白い腕を、サルヴァトーレの前に頼りなく差し出し、注射器にヘロインが吸い上げられて行くのを、じっと見ている。
いつもと同じ手順で、消毒した肌に、細い注射針が、沈んだ。
浮き上がった静脈から、注射器に逆流する赤黒い血が、両手を掲げて水の中を泳ぐ人魚のように、ヘロインの海を巡って、溶ける。
プランジャーが、沈んだ。
ヘロインが、ゆっくりと静脈へと、浸み込む。
一杯に沈んだプランジャーは、麻薬に溺れる者の苦痛を、和らげた。
針が肌を離れ、アルコールを含ませた脱脂綿が、腕に、乗る。
「グラーツィエ……。グラーツィエ、シニョーレ……」
フィンの表情が、恍惚と解けた。汗の滲む面を少し緩め、遠のく苦痛に酔うように、柔らかく瞳を閉じて、いく。
「上着を貸してやろう。部屋まで着て戻るんだ」
デスクを立ち、サルヴァトーレは着ている上着を脱いで、フィンに放った。
大きな上着を肩に羽織るフィンの姿は、まだ本当に幼さを留める少年、だった。成長途上にある不完全な姿である。それは、不完全であるだけに不憫ですら、あった。
フィンが部屋を後にすると、廊下の隅に立つメイドたちが、声を潜めて囁き合った。
「旦那様は、どうしてあんな少年を置いていらっしゃるのかしら?」
「随分きれいな子だけど、サルヴァトーレ様が、なんてショックだわ。憧れていたのに」
「私だって。あんな素敵な方、その辺りにはいないもの」
「あの方を見ていたら、他の男なんてつまらなく見えるわよねェ……」
その囁き合いは、フィンの姿が見えなくなっても、続いて、いた。
0
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説
あなたの隣で初めての恋を知る
ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。


王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い


あなたと過ごした五年間~欠陥オメガと強すぎるアルファが出会ったら~
華抹茶
BL
子供の時の流行り病の高熱でオメガ性を失ったエリオット。だがその時に前世の記憶が蘇り、自分が異性愛者だったことを思い出す。オメガ性を失ったことを喜び、ベータとして生きていくことに。
もうすぐ学園を卒業するという時に、とある公爵家の嫡男の家庭教師を探しているという話を耳にする。その仕事が出来たらいいと面接に行くと、とんでもなく美しいアルファの子供がいた。
だがそのアルファの子供は、質素な別館で一人でひっそりと生活する孤独なアルファだった。その理由がこの子供のアルファ性が強すぎて誰も近寄れないからというのだ。
だがエリオットだけはそのフェロモンの影響を受けなかった。家庭教師の仕事も決まり、アルファの子供と接するうちに心に抱えた傷を知る。
子供はエリオットに心を開き、懐き、甘えてくれるようになった。だが子供が成長するにつれ少しずつ二人の関係に変化が訪れる。
アルファ性が強すぎて愛情を与えられなかった孤独なアルファ×オメガ性を失いベータと偽っていた欠陥オメガ
●オメガバースの話になります。かなり独自の設定を盛り込んでいます。
●最終話まで執筆済み(全47話)。完結保障。毎日更新。
●Rシーンには※つけてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる