ピエタ【完結】

竹比古

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POSITION・1 シチリア

シチリア 5

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 頬杖の上で、あの日のことを思い出していると、ノックもなしに、ドアが、開いた。
 姿を見せたのは、あの秋の日にローマで拾った少年。
 しかも、裸で。
 眩しいほどの白い裸体が、視界の中に、入り込む。
 ベッドから抜け出して来たままの格好、なのだろう。
 惜しげもなく肌をさらす少年を見て、廊下を渡るメイドたちが、頬を染めて、逃げて行く。
 こんなことも、部下がその少年を嫌う要因だったかも、知れない。
「いつからこの屋敷は海岸になった、フィン?」
 サルヴァトーレが冷ややかに訊くと、
「おはよう、シニョーレ.サルヴァトーレ……」
 フィンはそんなことなど気にも留めていないようで、デスクの前へと足を、進める。
「こんな時間に起きて来て『おはよう』か。次はそのまま昼寝シエスタか?」
 デスクの上の時計の針は、すでに十一時を指して、いる。
「薬……くれないか?」
 眉を落として、フィンは言った。
 無気力な口調であることが、彼が麻薬中毒者ジャンキーである裏付けだった。
「食事は?」
「朝は要らない」
「……。こっちへおいで」
 デスクを回って自分の傍に来るように促すと、フィンは素直に従った。すぐに薬をもらえると安堵したのだろう。そんな表情が読み取れた。
 込み上げて来るものは怒りだった。
 サルヴァトーレは腕を振り上げ、フィンの頬を打ち据えた。
「くぅ――っ!」
 苦鳴が上がり、フィンの体がサイドボードまで吹き飛ばされる。
 床に崩れ、打たれた頬は、衝撃に痛々しく歪んでいた。愛らしい面も、突然の暴力に強ばっている。
「今度、裸で屋敷の中を歩き回ってみろ。その腐った脳天に鉛弾をぶち込んでやる」
 頬を押さえて蹲るフィンの姿を厳しく見据え、サルヴァトーレは冷淡な眼差しで吐き捨てた。
 だが――。
 だが、フィンは、脅えもせずに、その面貌を持ち上げた。
「……シチリアの血は情熱的だな。これじゃあ、あなたのモノをくわえようにも、痛くて口が開かない」
 と、自嘲のように、唇を、歪める。
 彼は、もう脅えることも出来ないほどに、無気力になっているのかも、知れない。
「ハッ。大した口だ。――麻薬中毒者ジャンキーの末路がどんなものか知っているか、フィン? 身も心もボロボロになって死ぬだけだ。最初は吸煙スモークから始めた奴らも、すぐに皮下注射スキン・ポップを覚えて腕にニードルを突き立てる。そして、君のように静脈注射メイン・ラインをやり始める。皮下注射スキン・ポップとは比べものにならない快楽だからな」
「最初の一回だけだよ……。二回目からはくだらない。二度と同じ陶酔ラッシュにはならない……」
「それでも皮下注射スキン・ポップに戻す積もりはないだろう?」
「……」
「量が増え、回数が増え、その内、注射針ニードルを射てる血管もなくなる。静脈は石みたいに硬くなり、ニードルも射さらない。あとはボロボロになって死ぬだけだ。理性も何もあったもんじゃない。静脈注射常習者メイン・ライナーは、畜生みたいに裸のままでのたれ死ぬのさ」
 止めを刺すような残酷な言葉で、サルヴァトーレはフィンの裸体を見下ろした。
 だが――。
 だが、そんなことにも屈辱を覚えないのだ、彼は。
「……。欲しいんだ……。薬……」
「……」
「早く……抱いてくれないか……? 薬……欲しくて……」
 と、視線を横に逸らしたまま、苦しげな面貌で、訴える。
 麻薬中毒者ジャンキーは皆、そうなのだ。
「生憎、今、君の相手をしている暇はない」
 サルヴァトーレは、憫れみをかけるほどの偽善も示さず、デスクの中から、銀色のピルケースを取り出した。
「腕を出せ」
 と、中の注射器を取り出しながら、淡々と言う。
 フィンの表情が、ホッ、としたように、柔らかく、変わった。
 白い腕を、サルヴァトーレの前に頼りなく差し出し、注射器にヘロインが吸い上げられて行くのを、じっと見ている。
 いつもと同じ手順で、消毒した肌に、細い注射針ニードルが、沈んだ。
 浮き上がった静脈から、注射器に逆流する赤黒い血が、両手を掲げて水の中を泳ぐ人魚のように、ヘロインの海を巡って、溶ける。
 プランジャーが、沈んだ。
 ヘロインが、ゆっくりと静脈へと、浸み込む。
 一杯に沈んだプランジャーは、麻薬に溺れる者の苦痛を、和らげた。
 ニードルが肌を離れ、アルコールを含ませた脱脂綿が、腕に、乗る。
「グラーツィエ……。グラーツィエ、シニョーレ……」
 フィンの表情が、恍惚と解けた。汗の滲む面を少し緩め、遠のく苦痛に酔うように、柔らかく瞳を閉じて、いく。
「上着を貸してやろう。部屋まで着て戻るんだ」
 デスクを立ち、サルヴァトーレは着ている上着を脱いで、フィンに放った。
 大きな上着を肩に羽織るフィンの姿は、まだ本当に幼さを留める少年、だった。成長途上にある不完全な姿である。それは、不完全であるだけに不憫ですら、あった。
 フィンが部屋を後にすると、廊下の隅に立つメイドたちが、声を潜めて囁き合った。
「旦那様は、どうしてあんな少年を置いていらっしゃるのかしら?」
「随分きれいな子だけど、サルヴァトーレ様が、なんてショックだわ。憧れていたのに」
「私だって。あんな素敵な方、その辺りにはいないもの」
「あの方を見ていたら、他の男なんてつまらなく見えるわよねェ……」
 その囁き合いは、フィンの姿が見えなくなっても、続いて、いた。


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