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朝凪の協奏曲(コンツェルト)
闇に浮かぶ
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ジーゲスゾイレの勝利の女神のシルエットだけが、夜の闇に浮かんでいる。
午後九時まで明るい夏とは違い、長く暗い冬へと向かうこの季節は、あっと言う間に陽が沈む。高緯度にあるが所以の決まりごとだ。
ジーゲスゾイレの周りに広がるティーアガルデン公園は、冷たい風に包まれていた。
雨でも降るのだろうか。風も湿りを帯びている。
――寒い……。
エリオットは、枯れ葉の上に腰を降ろし、ギュっと膝を抱き込んだ。
クゥ、と空腹にお腹がなる。
「にーさんなんか……。クソっ。にーさんになんか、二度と逢いに行くもんかっ!」
痛みだけが、胸に残った。
『生憎、俺はゲイじゃない。ニューヨークで生まれ育ったおまえとは違うんだ。そういう相手が欲しいのなら、ニューヨークで探せ』
――にーさんなんか……。
恥ずかしくて、悲しくて、死にたくなる。
まだ七つの頃に逢った日本人だったのだ。頭が良く、何でも軽くこなして、優しかった。聡明さを物語る歯切れのいい口調も、胸に抱く大きな夢も、幼い頃からの憧れだった。
にーさんのようになりたい、と……。
それが、いつから想いに変わったのかは、解らない。ただ、いつも薫だけを見ていたことは、確かだった。そして、その薫が誰を見ているのかも、知っていた。
だが――。
だが、もう自分の方を見てくれるのではないか、と思っていたのだ。――いや、そんなことより、薫に忘れられてしまうことの方が、怖かった。
だから、こうしてベルリンに来たのだ。
ベルリンに……。
そして、今はもう、ベルリンに来た意味も、失くなってしまった……。
膝の上に頭を突っ伏し、エリオットは、痛みを堪えるように、目を暝った。
カサ、っと枯れ葉を踏むような物音が聞こえたのは、その時だった。
ハッとして後ろを振り返ると、数人の男たちのシルエットが、闇に浮かんだ。四人――。それは、夜よりも濃い人影だった。
「ハイ、アメリカ人かい、坊主? 随分、威勢のいい言葉だったじゃないか」
「……」
「フラれたのかい? 独りじゃ寂しいだろ? 遊び相手になってやるぜ」
どの人影も、淫靡な雰囲気を纏わせていた。
舌舐めずりをするように、エリオットの前へと歩み寄る。タチのいい連中でないことは、すぐに解った。
「今日は客が取れなくて独り寝かい? 可哀想にな」
「……ぼくは男娼じゃない」
言葉が、震えた。
「クックッ。じゃあ、金は要らない訳だ。それとも、アメリカ人はカードでなきゃ買えないのかい?」
男たちの言葉は、心底楽しげに弾んでいた。エリオットが怖がっていることを知ると、余計に――。
男たちが目配せを交わし、示し合わせるように、地表を蹴った。獲物に飛び掛かる畜生のような狡猾さが、そこには、あった。
エリオットは反射的に身を翻し、公園の外へと駆け出した。
この寒さの中、背中に汗が滲んでいた。体は震え、足も、凍てついたように動かない。
体中に響くほどの激しい鼓動は、足さえ縺れさせるようだった。
男たちの手が、逃げ惑うエリオットの肩をつかみ取る。
「うまいぞ!」
たちまち四人の男たちが、エリオットの周りを取り囲んだ。
「さあ、狩りはここまでだ」
「放せ――っ」
エリオットは、つかまれる腕に抗った。が、刹那、肩が外れるような痛みが走り、
「く……っ!」
男たちの手は、エリオットの腕を、背中へきつく捩上げていた。
「あ……う……」
「へェ……。きれいなガキじゃないか。この顔で客が取れないんなら、えり好みのし過ぎだな」
一人がエリオットの顎に指を掛けて、ニヤリと笑った。
もう、声を上げられないことも知っているのか、狡猾そうな顔付きで、マジマジと全身を値踏みする。
男の手が、エリオットの服を引き裂いた。
「やめ……っ!」
地面にうつ伏せに押さえ付けられ、瞬く間に身動きが取れなくなる。
午後九時まで明るい夏とは違い、長く暗い冬へと向かうこの季節は、あっと言う間に陽が沈む。高緯度にあるが所以の決まりごとだ。
ジーゲスゾイレの周りに広がるティーアガルデン公園は、冷たい風に包まれていた。
雨でも降るのだろうか。風も湿りを帯びている。
――寒い……。
エリオットは、枯れ葉の上に腰を降ろし、ギュっと膝を抱き込んだ。
クゥ、と空腹にお腹がなる。
「にーさんなんか……。クソっ。にーさんになんか、二度と逢いに行くもんかっ!」
痛みだけが、胸に残った。
『生憎、俺はゲイじゃない。ニューヨークで生まれ育ったおまえとは違うんだ。そういう相手が欲しいのなら、ニューヨークで探せ』
――にーさんなんか……。
恥ずかしくて、悲しくて、死にたくなる。
まだ七つの頃に逢った日本人だったのだ。頭が良く、何でも軽くこなして、優しかった。聡明さを物語る歯切れのいい口調も、胸に抱く大きな夢も、幼い頃からの憧れだった。
にーさんのようになりたい、と……。
それが、いつから想いに変わったのかは、解らない。ただ、いつも薫だけを見ていたことは、確かだった。そして、その薫が誰を見ているのかも、知っていた。
だが――。
だが、もう自分の方を見てくれるのではないか、と思っていたのだ。――いや、そんなことより、薫に忘れられてしまうことの方が、怖かった。
だから、こうしてベルリンに来たのだ。
ベルリンに……。
そして、今はもう、ベルリンに来た意味も、失くなってしまった……。
膝の上に頭を突っ伏し、エリオットは、痛みを堪えるように、目を暝った。
カサ、っと枯れ葉を踏むような物音が聞こえたのは、その時だった。
ハッとして後ろを振り返ると、数人の男たちのシルエットが、闇に浮かんだ。四人――。それは、夜よりも濃い人影だった。
「ハイ、アメリカ人かい、坊主? 随分、威勢のいい言葉だったじゃないか」
「……」
「フラれたのかい? 独りじゃ寂しいだろ? 遊び相手になってやるぜ」
どの人影も、淫靡な雰囲気を纏わせていた。
舌舐めずりをするように、エリオットの前へと歩み寄る。タチのいい連中でないことは、すぐに解った。
「今日は客が取れなくて独り寝かい? 可哀想にな」
「……ぼくは男娼じゃない」
言葉が、震えた。
「クックッ。じゃあ、金は要らない訳だ。それとも、アメリカ人はカードでなきゃ買えないのかい?」
男たちの言葉は、心底楽しげに弾んでいた。エリオットが怖がっていることを知ると、余計に――。
男たちが目配せを交わし、示し合わせるように、地表を蹴った。獲物に飛び掛かる畜生のような狡猾さが、そこには、あった。
エリオットは反射的に身を翻し、公園の外へと駆け出した。
この寒さの中、背中に汗が滲んでいた。体は震え、足も、凍てついたように動かない。
体中に響くほどの激しい鼓動は、足さえ縺れさせるようだった。
男たちの手が、逃げ惑うエリオットの肩をつかみ取る。
「うまいぞ!」
たちまち四人の男たちが、エリオットの周りを取り囲んだ。
「さあ、狩りはここまでだ」
「放せ――っ」
エリオットは、つかまれる腕に抗った。が、刹那、肩が外れるような痛みが走り、
「く……っ!」
男たちの手は、エリオットの腕を、背中へきつく捩上げていた。
「あ……う……」
「へェ……。きれいなガキじゃないか。この顔で客が取れないんなら、えり好みのし過ぎだな」
一人がエリオットの顎に指を掛けて、ニヤリと笑った。
もう、声を上げられないことも知っているのか、狡猾そうな顔付きで、マジマジと全身を値踏みする。
男の手が、エリオットの服を引き裂いた。
「やめ……っ!」
地面にうつ伏せに押さえ付けられ、瞬く間に身動きが取れなくなる。
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