4 / 40
朝凪の協奏曲(コンツェルト)
他人
しおりを挟む「リヒャルト、これはエリオットだ」
と、リビングに入り、簡単な紹介から、まず始める。
この頃には、薫も冷静さを取り戻し、事態を把握できるまでになっていた。
「さっきは悪かったな、ボーイ」
リヒャルトも気を遣っているのか、笑みこそ見せていないものの、一応、英語でそう言った。
しかし、エリオットは目一杯、さっきのことを根に持っているようで、
「気にしてないよ。ミスター.リチャード」
と、名前まで全て英語に直して、受け応える。
これに、ドイツ人であるリヒャルトがムッとしたことは、言うまでもない。
「こっちが気を遣って英語で話してやってるからと言って、名前まで英語読みにするな! 俺はドイツ人でリヒャルトだ! これだから、歴史も何もないアメリカ人はっ」
「大人げない人だなァ。ヘル.リヒャルトって呼べばいいのかい?」
「――」
ますます険悪な雰囲気である。
「やめないか、エリオット」
エリオットと『変なおじさん』との非友好的な挨拶は言うまでもなく、多分に波乱を含んで、三人は――いや、薫とエリオットの二人、はブロートとカッフェを並べたテーブルを挟み、席についた。
リヒャルトは、といえば、もう拘わるまい、とするかのように、窓際のソファに腰掛けている。最も賢明な判断であっただろう。
「学校はどうしたんだ、エリオット?」
何とか落ち着いた状況で、薫は訊いた。
だが、エリオットは全く堪えていないようで、カッフェを手に、涼しい顔で、こう言った。
「社会勉強だよ。――素敵な部屋だね。にーさんのセンスって好きだな。シンプルで落ち着く。――朝食もシンプルだけど」
と、コンチネンタルの食事に、視線を落とす。
「厭味を言うなら食べるな――」
「キャフェはおいしいよ。部屋はきれいだし。やっぱり、木の部屋の方がヴァイオリンにいいのかナ……」
と、部屋の中をぐるぐると見渡し、趣味のいい調度にまとめられた空間を、マジマジと懐かしむように眺めている。
どうやら、人の話を聞く積もりはないらしい。
薫はさらに厳しく、
「ご両親には何と言って出て来たんだ? 一人で行くと言って許してくれた訳じゃないだろう?」
「許してくれたよ」
「嘘をつくなっ!」
「ホントだって。電話を掛けてもいいよ。手紙、まだ届いてない?」
「……手紙? いつ出したんだ? そんなものは届いてない」
「飛行機に乗る前、空港で――」
「この馬鹿っ! 何を考えているんだ!」
そんなものが、すぐにドイツまで届くわけがない。
「そんなに怒らなくても……。パパとママが許してくれたのはホントだよ。にーさんのところに泊まるのなら安心だって――」
「泊まる? ここへ泊まるだと?」
「そうだよ」
ケロッ、とした顔で、エリオットは言った。多分、小さな子供として可愛がられて来た彼には、それが当然のことであったのだろう。
だが――。
「冗談じゃないっ! 俺とおまえは『他人』だ。おまえの姉さんと結婚したのは兄貴で、俺じゃないっ。押しかけられても迷惑だ」
暢気すぎるエリオットの言葉を、薫は勢いに任せて、つい強い口調で撥ね付けてしまった。言うつもりなどなかったというのに、そんな言葉など――。
エリオットが、硬く表情を強張らせる。
「おいっ、カオル! そんな言い方をしなくても――」
さっきまでエリオットを敬遠していたリヒャルトでさえ、ソファを立って、そう言った。
「……。俺は、他人が側にいてヴァイオリンを弾ける人間じゃないんだ。それは、君だって知っているはずだ、リヒャルト」
「それはそうだが……。だが、せっかくおまえを頼って来た弟を、二、三日泊めてやるくらいのことは――」
「ホテルを取ってやろう。英語も通じる。その『社会勉強』とやらを済ませたら、さっさとニューヨークへ帰るんだ」
薫は表情を崩さず、電話の方へと翻った。
エリオットは、硬く表情を強ばらせたまま、唇をキュッと結んでいる。そして、薫が視線すら合わせようとしないのを見ると、
「要らない。他人のあなたに迷惑はかけない」
と、ドアの方へと翻った。振り返ることは一度もなく、バタン、とドアを閉じる音だけが、部屋に残った。
いや――。
――他人のあなたに迷惑はかけない。
その言葉だけが部屋に――胸に、残った。
「おい、カオル! もっと穏便な言い方があるだろう? 何だってあんな言い方をするんだっ。おまえを当てにして来たのなら、ホテルに泊まる金だって持ってるかどうか――」
「なら、ニューヨークへ帰れば済むことだ」
「――カオル?」
「シャワーを浴びて来る。まだ疲れが取れない」
薫は無表情に――無表情を努めて、バス・ルームへと翻った。
「カオル――っ。あんな子供を一人で放り出して心配じゃないのか? あの子はほとんどドイツ語が出来な――」
「君が追い返したままでも同じだったさ。――そうだろ、リヒャルト?」
「――」
「俺は自分のことで精一杯なんだよ」
パタン、とバス・ルームのドアを閉じる。
それは、心の扉を閉じる音にも、似ていた。
飛沫が降り注ぐバス・ルームに、痛みを伴う過去が映る。
あれから、もう四年も経つのだ。
『どうして結婚式に出席してくれないの、カオル? 寂しいわ』
『……。以前からドイツに誘われていたんだ。大学時代からの友人で――。兄さんと幸せに、アニー』
――幸せに……。
――兄さんと……。
そう言って、ニューヨークを離れた、あの日――。
そして、今日、その女性とそっくりな顔をした少年が、薫の前へと姿を見せた。光のような金髪も、風のような碧い瞳も、何もかも彼女に似通っていた。
あの美しく、聡明な女性に……。
そんな彼の姿を見て、一体、何が言えた、というのだろうか……。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
君に咲く花
有箱
BL
カノンは体が弱く、シンは心が弱い。そんなシンにとっての薬は血で、同居しているカノンが見せる事で落ち着かせるという習慣があった。
そんな日々が長いこと続いていたのだが。
2016年の作品ですが置いていきます╰(*´︶`*)╯
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
彼の理想に
いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。
人は違ってもそれだけは変わらなかった。
だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。
優しくする努力をした。
本当はそんな人間なんかじゃないのに。
俺はあの人の恋人になりたい。
だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。
心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる