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Runaway 38
しおりを挟む「決まっていただと? マーニには私がいても充分ではない? 子供だと思って甘くしてやっていれば――っ」
胸倉をつかみ、エドウィンドはさらに、こぶしを放った。
「あうっ! くっ!」
これほどまでに、彼は水龍を愛しているのだ。マーニと名付けた弟を――。言葉すら失っていた幼子を、毎日見守りながら育てて来たように、彼もまた、水龍を手放せないほどに愛しているのだ。
だが、それが彼だけだ、とでも言うのだろうか。
国龍は、自らも強くこぶしを固めた。が、そのこぶしを繰り出す前に、エドウィンドのこぶしが、不意に、止まった。腕には、水龍が涙を散らしてしがみついている。
「……マーニ?」
そのエドウィンドの言葉にも、ただ泣くばかりで、応えない。
喧嘩を止めたいのか、国龍を殴らないでいて欲しいのか、それすらも判らない様子で泣きじゃくっている。
「来るんだ、水龍」
国龍は、その水龍の腕をつかみ取った。
「あ……」
水龍が、引き寄せられる腕に、瞳を揺らす。エドウィンドの顔と国龍の顔を交互に見つめ、どうしていいのか判らない様子で、戸惑っている。
「小さい頃、こうして一緒に逃げ出しただろ?」
国龍は言った。
「う……」
「マーニは何も覚えていないんだ! それに、ノルウェー語以外、解せない。――来るんだ、マーニ」
エドウィンドが、反対側の腕をつかみ取る。
二人とも、その手を放した時が最後だ、と解っていた。
手を放せば、必ず後で後悔するのだ。どんなことをしても、あの時、手を放すのではなかった、と。
睨み合う時間は、長く、続いた。
真ん中では、水龍が心細げに、突っ立っている。
「どうした? 私からマーニを奪う積もりだったんだろう? 無理やりにでも手を引っ張って連れて行ったらどうだ?」
「……」
「それが出来ないのなら、最初から大きな口を叩くな。マーニは君には渡さない。私は君のように、マーニの手を放すような真似はしな――」
エドウィンドが言いかけた時だった。水龍が国龍の手を振りほどき、エドウィンドの胸へと飛び込んだ。国龍でなく、エドウィンドの胸に飛び込んだのだ。
「……水龍?」
国龍は、手の中から消えてしまった存在に、呆然と現実を見つめて、呟いた。
水龍は、エドウィンドの胸にしっかりと抱きつき、顔を埋めて泣いている。
エドウィンドもまた、水龍を堅く抱き締めて、いた。
八年間の歳月は、それほどに長いものだったというのだろうか。――いや、長いものだったことは、国龍自身、承知している。
だが、それは互いを思う気持ちこそ募れ、決して薄れて行くものではなかったはずなのだ。記憶を持っている国龍にしても、記憶を失ってしまった水龍にしても――。そう思っていたのは、国龍だけだった、と言うのだろうか。水龍に取っては、ノルウェーでの生活こそ、自分の全てになっていたのだ、と――。
「愛してる、エドウィンド……」
水龍が、言った。
エドウィンドの瞳が、全てを察したように、厳しく凍った。
国龍は、ただ呆然とその言葉を聞いていた。
水龍が、エドウィンドの胸を離れて、国龍の方を振り返る。それは、国龍がラルフに別れを告げた時の瞳と、同じものだっただろうか。
それから一年経って、見た夢が、ある。
四人掛けのティー・テーブルが、全て埋まっている夢だ。
きっと、その夢を創り上げるために、二人は逃亡者になったのだ。
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