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Runaway 35
しおりを挟む深夜、ラルフが屋敷に戻って来るのを待って、国龍は昼間のホテルでのことを、ラルフに話した。――いや、夜遅くまで考え事をしている国龍を見て、ラルフが、何かあったのか、と訊いて来たのだ。
夜、というのは、昼間話せないことでも、何故かすんなりと話せる雰囲気を持ち、その空気の中、国龍は訊かれるままに話をしていた。
「ヘイエルダール?」
国龍が持ち出したその名前に、ラルフが珍しく目を見開いた。
訊けば、エドウィンド・ヘイエルダールという青年は、ノルウェーの海運王の御曹司で、先日、ラルフも顔を合わせた人物だという。
当然、その人物の弟として暮らしている水龍が、かなり裕福な暮らしをしていることは、容易に知れた。――いや、大財閥の子息としての暮らしは、一般人になど想像もつかないほどに、スケールの違う贅沢さだったかも知れない。
そして、水龍が戸籍上もヘイエルダールの息子となっているのなら、ラルフにも手の打ちようがないことは、確かだった。
水龍を取り戻す、ということは、ヘイエルダール家の子息を奪う、ということに外ならないのだ。そんなことをすれば、たとえ血の繋がった兄弟でも、国龍は誘拐犯として追われることになる。
「調べてみよう。少なくとも、君が強引に水龍を連れ戻そうとしなかったことは正解だ」
そう言って、ラルフは次の日には、ヘイエルダールの戸籍を始め、彼らが水龍を引き取ることになった経緯についても調べてくれた。
もちろん、ラルフが直接ノルウェーに飛んで調べた訳ではない。全世界に広がる華僑のネットワークを使って調べたのだ。それは、国家以上の組織力を持ち、また、迅速なものだった。
その結果、水龍がマーニという名でヘイエルダールの籍に入っていることが、判った。法律上、国龍が勝手に水龍を奪い返す、という訳にはいかないのだ。
「そんなことって……」
やっと行方が判った、というのに、血の繋がりなど何の意味もないものと化していたのだ。エドウィンドが言ったように、今の水龍の兄は、国龍ではなく、エドウィンドなのだ。
そして、国龍は、他人……。
「ヘイエルダール氏が君の弟を拾ったのは、彼が主催していた豪華客船での世界一周旅行の途中のことだったらしい。金と暇を持て余した有閑人種の集う旅行で、船には、銀行や郵便局、映画館、プール、美容室、教会、カジノ、バー、レストラン……ありとあらゆる施設が整っていた。もちろん、一流の病院も、だ。でなければ、死にかけていた君の弟を助けることなど出来なかっただろうからな。世界中の金持ちのために、何一つ手落ちのないように備えてあった船なんだ。その船で太平洋を横断中に、君の弟を拾った。そして、ホスト役で客から手の放せない父親に代わって、同乗していた息子のエドウィンドが、君の弟の面倒をみるようになった。『船の中で死者を出してはならない』という海運王の信念もあったのだろう。しかし、エドウィンドに取っては、それだけではなかった。――解るか? そんな豪華客船に乗っている客は、大抵が暇を持て余した金持ちの年寄りだ。当時、二十歳くらいだったエドウィンドには、後継者教育のためとはいえ、退屈極まりないものだっただろう。だからこそ、突然訪れたハプニングに、いつも以上に熱心になったんだ。退屈な年寄りの相手をするよりも、君の弟の世話をすることに夢中になった。一人息子だったこともあって、小さな子供は、彼にとって何よりも可愛い存在だっただろう。そして、海の上にいる間に、すっかりその子供に情を移し、手放すことが出来なくなってしまった。養子の話を持ち出したのも、エドウィンドだったらしい。肉親を探そうにも、意識を取り戻した子供は――君の弟は、全ての記憶を失くしていて、自分の名前すら覚えてはいなかったんだからな」
「……」
喉まで言葉が込み上げているというのに、国龍は声を出すことも出来なかった。ラルフの言っていることは、理屈では理解できていた。エドウィンドが水龍を愛し、大切に育ててくれた、という事実も――。
だが、それなら、この八年間、国龍が抱えて来た思いは、どうなってしまうというのだろうか。
ヘイエルダールの船が通りかからなければ、水龍は死んでいたのだから、諦めろ、と。
水龍を看病して、命を繋ぎ、丈夫に育ててくれたのはエドウィンドなのだから、諦めろ、と。
そう言うのだろうか。
そんなことなど出来るはずがない。水龍は国龍の弟なのだ。記憶を失くしていても、水龍が国龍の写真集を片時も離さず持っていたように、国龍にしても、水龍は何があっても忘れることなど出来ない存在だったのだ。
「いや……だ……。いやだ! 水龍はぼくのものなんだ! ぼくだって水龍を手放したくなんかなかったんだ!」
「国龍――」
「ぼくは水龍のためだけに生きて来たんだあああ――――――――っ!」
神々は、何故、これほどまでに弱い者を痛め付けようとするのだろうか。
この切なく哀しい絶叫も、神々の耳には届かない、というのだろうか。
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