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Runaway 30
しおりを挟むサングラスの向こうに映ったものは、胸苦しいほどに懐かしく、そして、愛しい弟の姿だった。
顔立ちや仕草は、国龍よりも、ずっと、幼い。――いや、国龍の方が、大人び過ぎているのかも、知れない。それでも確かに、双子と呼べる面貌だった。
「あ……」
頭の中が真っ白になり、言葉すら忘れてしまったかのように、喉の奥が、苦しく、なった。
手足が震え、席を立つ時に、コーヒーを、零した。
「水龍……」
国龍は、震える足で、踏み出した。
一歩、一歩、半身に、近づく。
幼い頃のままの笑みが、国龍を、見つけた。
「水龍」
国龍は、弾けそうな思いで、名前を呼んだ。
水龍は、首を傾げて、戸惑っている。水龍にしても、こんなところで国龍に逢うなど、思ってもいなかったのだろう。少なくとも、国龍はそう思っていた。
だが――。
「Hvem er du(あなた、誰)?」
水龍の口から零れたのは、その言葉だった。――いや、水龍ではない、のだ。どこの国の言葉なのかも判らないその問いかけは、彼が旅行者であることも示していた。フランス語でも、ドイツ語でもなく、況してやスペイン語でも、アジアの言葉でもない、異国の言葉。
「あ……あの……えーと……」
「Hva(何か)?」
「あの……いえ、人違いを……。すみません」
国龍は、一気に夢の底へと突き落とされるように、指を結んでうつむいた。
水龍によく似た異国の少年は、不思議そうに首を傾げている。
声が飛んだのは、その時だった。
「マーニ!」
と、黒のボルボの側に立つ青年が、少年を呼んで、手招きをする。まだ二七、八歳だろうか。長い金髪と青い瞳が、秀麗な面貌を際立てている。
水龍によく似た少年は、その声を聞いて、振り返った。そして、タカタカと青年の方へと駆け出した。――が、途中で、パタ、と足を止め、国龍の方を振り返った。
「アディオ!」
と、人懐っこい笑顔で、愛らしく言い、また、青年の方へと駆けて行く。
「アディオ……」
国龍には、その言葉の意味も、況してや何語であるのかも、判らなかった。ただ、聞き取れたのは、青年が発した〃マーニ〃という言葉と、少年が残したその言葉だけだったのだ。
その夜、国龍は、午前一時までラルフの帰りを待ち、その言葉の意味を訊いてみた。
「アディオ? ノルウェー語だな。マーニというのは名前だろう」
と、ラルフは言った。
いつも思うのだが、彼には解らないことなどないのではないだろうか。
「ノルウェー……?」
「ああ。『Good bye』という意味だ」
「Good bye……」
そんな簡単な意味だったのだ。
「それがどうかしたのか?」
「……別に」
国龍は、サンタモニカでのことを思い出しながら、視線を落とした。
他人の空似、というには、あまりにも水龍に似ていたのだ。――いや、国龍に似ていた、と言った方がいいだろうか。そして、水龍の面影を備えていた。もちろん、八年も会っていないのだから、今、水龍がどんな風に変わっているかなど、国龍には解らないことだったが。
それに、太平洋で行方不明になった水龍が、何かの間違いでノルウェーに流れ着くなど、どう考えてもあり得ない。
それでも、もしかしたら――。そう考えてしまうのは、諦めが悪いからだろうか。
もし、国龍がサングラスを掛けていなければ、あの少年はどういう反応を示していたのだろうか。
大事そうに、国龍の写真集を抱えていた、あの少年は……。
「あの、ラルフ……」
「ん?」
「ノルウェー語って難しい?」
国龍は訊いた。
「英語を覚えた時と同じくらいに一生懸命やれば、すぐに覚えられるさ。――勉強したいのか?」
「……。クリスマス休暇中に覚えられる?」
「二週間で? 随分、無茶なことを言うんだな。――何かあったのか?」
「……話をしたい人がいるんだ。多分、クリスマス休暇を利用して来てる観光客だから、その間に」
「んー……。大抵のノルウェー人は、英語を話せると思うが、な。中年以上の年代には無理だろうが、若い人間なら――。今日、私もノルウェーの海運王の子息と少し話をしたが、上手な英語を使っていたし」
「ノルウェー語を覚えたいんだ。今すぐに」
無理を承知で、国龍は言った。
「もう決めているのなら、何を言っても無駄だろう。――何の話をしたい? 日常会話を覚えたい訳ではないだろう?」
ラルフの言葉は、暖かかった。
国龍は、サンタモニカでのことを、ラルフに話した。
「――だから、訊きたいんだ。マーニ、って呼ばれてたその少年が、何故、ぼくの写真集を持っていたのかを……」
「……。レコーダーを持っておいで。必要な言葉を教えてやろう」
「ありがとう、ラルフ……」
少し早い、クリスマス・プレゼントのような時間だった……。
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