幸せの椅子【完結】

竹比古

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Runaway 19

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「私のことはラルフでいい。中国名は使っていない。そして、中国語も、屋敷を一歩出れば、通用しない。――君にも覚えてもらい易い名前がいるな。郷に入っては郷に従え、という奴だ」
 話は一方的に続くことが多かった。
「アレックスがいい。それなら、皆すぐに覚えるだろう」
「何かその名前に意味があるのか?」
「以前に飼っていた犬の名前だ。出来のいい犬で、使用人も皆、可愛がっていた。君も、その犬くらいに賢くなってくれればいいんだが」
「ムッ」
「気に入らないか?」
「当然だろっ」
「アレキサンダー大王と同じ名前だぞ」
「そんな奴、知らない」
「まあ、私も直接は知らないが……。話に出てくるほど偉大な人物だったのか、ただの暴君だったのか――」
「なおさら、イヤだ」
「なら、ロンにしておけ。――姓はウェイだったな? ロン・ウェイでいい。中国名はなかなか覚えてもらえないが、それならすぐに覚えてもらえる」
ロン……」
「君の弟も気がつくだろう」
 真面目なのか、不真面目なのか、人を食ったようなラルフの言葉と生活は、国龍に取って、以外にも早く馴染めるものだった。
 だが、ラルフが屋敷にいる時間は極端に短く――仕事を持っているのだから当然のことなのだが、国龍の教育は、十人を越える家庭教師と、屋敷の使用人で賄われることになった。
 ラルフが何の仕事をしているのかは、解らない。以前に、堂口の要人である、というような話を置屋の男から聞かされたことがあったが、ただのマフィアの構成員として片付けるには、立派な知識人である、という印象が強過ぎたのだ。
 もちろん、それを使用人に訊いてみたことも、ある。
「旦那様ですか? 旦那様は、ミスター.ホワンの秘書をなさっておいでですよ」
 と、丸々と太ったメイドは、応えてくれた。
「ミスター.黄? 誰、それ?」
「ご存じないんですか? このロサンゼルスのファー・イースト・ナショナル銀行の総裁で、大統領のブレーンをなさっていたこともある、黄中元ホワンヂュンユアン様ですよ」
 何だか、肩書だけでも物凄い人物なのだ、ということは、国龍にも解った。大統領といえば、このアメリカで一番、偉い人であり、その人のブレーンとして働いていただけでなく、自分の銀行まで持っている、というのだ。
 国龍はまだ銀行を利用したことはないが、そこが大変な金額のお金が動く場所である、ということは知っていた。
 このアメリカで、そんな地位と金を持っているなど、まさに、海を越えてアメリカに渡った中国人の夢、最高のサクセス・ストーリーではないか。
 そして、そんな人物の秘書として働いているラルフに、国龍の相手をしている時間など微塵もないことは、容易に知り得た。
 況してや、水龍の捜索に費やす時間など、全くと言っていいほどなかっただろう。そんな中、四年間もかけて水龍の行方を捜し回ってくれ(見つからなかったとはいえ)、福建の国龍の元にまで知らせに来てくれたのだ。
 だが、それは何故なのだろうか。
 何故、ラルフはそれほどまでに、国龍や水龍のことを気に掛けていてくれたのだろうか。
「やっぱり、オレの顔がいいからかナ」
 と、虱の蛆いた頭で受け流せるほど、単純な疑問では、なかった。
「ラルフは、オレ――ぼくのこと、何か言ってた?」
 その問いかけに、
「え、ええ、まあ……」
 丸々と太ったメイドは、言いにくそうに、口ごもった。
 国龍が問い詰めると、
「あ、あの、気が遠くなるほどの馬鹿な田舎者だから、理解できるまで何度でも、何でも、教えてやってくれ、と……」
 いかにもラルフが言いそうな言葉である。
「教えてくれて、ありがとうっ」
 どうやら完全に弄ばれているらしい。
 国龍は爆発寸前にまで、憤慨した。否定できないことが、尚更、腹立たしい状況である。
「旦那様は、まだお若いですけど、とてもご立派な方ですよ。お忙しくて、家庭もお持ちになっていませんけど――。その旦那様が、こんなに愛らしい坊っちゃまをお連れになるなんて……。ロン坊っちゃまがいらっしゃれば、旦那様もきっと、ゆったりとした時間をお持ちになるようになりますよ」
「……あいつがゆったりとした時間を持たないのは、忙しいからじゃなくて、性格だと思う」
 国龍は、ボソリ、と呟いた。
「は?」
「あ、いや、別にっ」
 面倒をみてもらっている手前、悪口は言えない。いくらラルフが他人と好意的に付き合って、週末にはパーティを開くような人間でなくとも、悪口を言ってしまうほど、悪い人間でもない。と、国龍は一応、思っている。
 時々、後ろからゲンコツで殴りたくなる時もあるが、それは軽々と躱されそうなので、未だ実行したことは、ない。ちなみに、未遂はある。
 だから、わりといい子で過ごしていたのだ。国龍にしてみれば。


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