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Runaway 11
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「解るだろう? この福州は、台湾から流れ込む資本で、繁栄が見込まれているんだ。彼らの動かすアングラ・マネーが北京を威圧し、地下資本が流れ込むのを黙認させている、と言ってもいい。彼らの力は、今に北京中央を越える。彼らがこの大陸を牛耳るんだ。おまえが美国へ行くための近道は、おとなしくしていることだ」
何という残酷な選択肢だっただろうか。わずか九つの子供に、本気でそんな選択をしろ、というのだろうか。弟を選ぶか、美国行きを選ぶか、どちらか一つにしろ、と。
男は、おとなしくなった国龍を降ろし、部屋の外へと出て行った。
口火を切ったのは、客だった。煙草を潰し、国龍の前へと歩み寄る。
国龍は、ただきつい眼差しで、立っていた。
「そういう眼をした男を知っている。大陸を出て、美国でのし上がった男だ。戦うために生まれて来たような男、と言ってもいい。野心に満ち溢れた、厳しい人間だ。――美国へ行きたいか?」
唐突とも言える問いかけだった。
国龍は、黙って男を見据えていた。
心が揺らがなかった、と言えば嘘になる。
だが、大人に嘘をつかれることには慣れ過ぎていたのだ。
「フッ。気性も上等だな。あと足りないのは、頭だ。――私はラルフ・リー。少し考えれば、この名前の使い方も解るだろう。運がよければ、洛杉礬で逢える」
言葉と共に、煙草の匂いのする手が、国龍の頬に、スゥ、と伸びた。
その手を受け入れてしまえば良かったのだろうか。
だが、国龍は、頬に触れようとするその手に、思いっきり口を開いて噛み付いた。
「痛――っ!」
呻きが上がったが、それでも離すことはしなかった。
横っ面を打たれ、ドアに叩きつけられるまで、ただ懸命に噛み付いていた。
強かに背を打ち、頭も少し茫としていたが、それでも、また噛み付いてやる積もりで、いた。
だが――。
「子供を打ったのは初めてだが……あまり気分のいいものではないな。――立てるか?」
何故、その男はそんな顔をするのだろうか。
何故、その男はそんな言葉をかけるのだろうか。
国龍は、ドアに叩きつけられた時の痛みも忘れて、その男を見上げていた。
それでも、大人を信じることは出来なかった。
「さわるなっ!」
バシ――っ、と男の手を叩き落とし、ドアを開けて外に飛び出す。
廊下の先には、見張りの男が立っていた。
当然、部屋から飛び出した国龍の姿も見咎められ、すぐに行く手を塞がれた。
背後から声がしたのは、その時だった。
「おい、手当をしてくれ。怪我をした」
それは、ラルフ・リーと名乗った男の言葉だった。国龍に噛み付かれた手を持ち上げ、行く手を塞ぐ男に示している。
「こ、これは李先生(ミスター)……。このガキが何か――」
「手当をしてくれ、と言ったんだ。私の怪我より、そんな子供の方が大切なのか?」
「い、いえ、そんなことは――っ。すぐに手当を――」
男が薬箱を取りに、翻る。それを見て国龍は、ラルフ・リーと名乗った男の方を、振り返った。
どう見ても、見張りの男を追い払ってくれた、としか思えない状況だったのだ。たとえ、まだ頭の足りない国龍でも、それくらいのことは察し得た。
ラルフと名乗った男は、もう関心もないように、部屋の中へと引っ込んで行った。それは、国龍が足を踏み出す切っ掛けでも、あった。
国龍は、前を向き直って、駆け出した。
その耳に、ラルフの呟きは、届かなかった。
「美国行きよりも、弟の方が大切か……」
何という残酷な選択肢だっただろうか。わずか九つの子供に、本気でそんな選択をしろ、というのだろうか。弟を選ぶか、美国行きを選ぶか、どちらか一つにしろ、と。
男は、おとなしくなった国龍を降ろし、部屋の外へと出て行った。
口火を切ったのは、客だった。煙草を潰し、国龍の前へと歩み寄る。
国龍は、ただきつい眼差しで、立っていた。
「そういう眼をした男を知っている。大陸を出て、美国でのし上がった男だ。戦うために生まれて来たような男、と言ってもいい。野心に満ち溢れた、厳しい人間だ。――美国へ行きたいか?」
唐突とも言える問いかけだった。
国龍は、黙って男を見据えていた。
心が揺らがなかった、と言えば嘘になる。
だが、大人に嘘をつかれることには慣れ過ぎていたのだ。
「フッ。気性も上等だな。あと足りないのは、頭だ。――私はラルフ・リー。少し考えれば、この名前の使い方も解るだろう。運がよければ、洛杉礬で逢える」
言葉と共に、煙草の匂いのする手が、国龍の頬に、スゥ、と伸びた。
その手を受け入れてしまえば良かったのだろうか。
だが、国龍は、頬に触れようとするその手に、思いっきり口を開いて噛み付いた。
「痛――っ!」
呻きが上がったが、それでも離すことはしなかった。
横っ面を打たれ、ドアに叩きつけられるまで、ただ懸命に噛み付いていた。
強かに背を打ち、頭も少し茫としていたが、それでも、また噛み付いてやる積もりで、いた。
だが――。
「子供を打ったのは初めてだが……あまり気分のいいものではないな。――立てるか?」
何故、その男はそんな顔をするのだろうか。
何故、その男はそんな言葉をかけるのだろうか。
国龍は、ドアに叩きつけられた時の痛みも忘れて、その男を見上げていた。
それでも、大人を信じることは出来なかった。
「さわるなっ!」
バシ――っ、と男の手を叩き落とし、ドアを開けて外に飛び出す。
廊下の先には、見張りの男が立っていた。
当然、部屋から飛び出した国龍の姿も見咎められ、すぐに行く手を塞がれた。
背後から声がしたのは、その時だった。
「おい、手当をしてくれ。怪我をした」
それは、ラルフ・リーと名乗った男の言葉だった。国龍に噛み付かれた手を持ち上げ、行く手を塞ぐ男に示している。
「こ、これは李先生(ミスター)……。このガキが何か――」
「手当をしてくれ、と言ったんだ。私の怪我より、そんな子供の方が大切なのか?」
「い、いえ、そんなことは――っ。すぐに手当を――」
男が薬箱を取りに、翻る。それを見て国龍は、ラルフ・リーと名乗った男の方を、振り返った。
どう見ても、見張りの男を追い払ってくれた、としか思えない状況だったのだ。たとえ、まだ頭の足りない国龍でも、それくらいのことは察し得た。
ラルフと名乗った男は、もう関心もないように、部屋の中へと引っ込んで行った。それは、国龍が足を踏み出す切っ掛けでも、あった。
国龍は、前を向き直って、駆け出した。
その耳に、ラルフの呟きは、届かなかった。
「美国行きよりも、弟の方が大切か……」
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