幸せの椅子【完結】

竹比古

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Runaway 10

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 途端に蒸し暑くなり始めた夏の一日、傷の癒えた二人を待っていたのは、客を取る、という仕事だった。
 否も応も、ない。
「もう九つなんだから、きっちり働いてもらわないとね」
 という婆婆の言葉のままに、風呂場で洗われ、きれいな服を着せられた。
「水龍、おまえは〃初めての子がいい〃という客がいるから、そっちだよ。金もはずんでくれる。――国龍、おまえも初めてだ、と言うんだ。値段が違うからね。なあに、おとなしくしてりゃあ、判りゃしない」
「い……いやだ……っ。今日からだ、なんて言わなかったじゃないかっ。オレも水龍も――」
「言ったら、また逃げ出しただろう?」
「――」
「この土壇場で殴られて傷物にされちゃあ、たまらないからね。――さあ、この二人を連れておいき」
 婆婆が言うと、図体のデカイ男たちが、二人を鷲掴みにするようにして、抱え込んだ。
「やだあ――っ! たすけて、国龍!」
「水龍! 水龍を放せ! 水龍に出来っこないんだっ。あんなことされたら、水龍が死んじゃうじゃないか! 水龍は体が弱いんだっ」
 先に連れて行かれる水龍を見て、国龍は男の腕の中で暴れ回った。
 今日ばかりは男も殴れないと見えて、手足を押さえ付けるだけに留めている。
「おねがいだよ、ナイナイ! 水龍はちょっとムリしただけで、熱を出すんだ。ムリし過ぎたら死ぬかも知れないんだ!」
「心配しなくても、客は丁寧に扱ってくれるさ」
「うそだ! そんなのうそだ!」
「煩い子だね! とっとと連れてお行き」
「いやだあ――――っ! 水龍! 水龍!」
 それほど叫んだ日は、後にも先にもなかったに、違いない。国龍にしても、水龍にしても。
 そして、どんなに叫んだところで、結果は何も変わらなかった。



 国龍が連れて行かれた部屋は、初めての時より、ずっと豪華な部屋だった。ドアもあり、埃臭い匂いも漂っては、いない。ベッドも中国装飾のきれいなもので、右手にはシャワー・ルームさえ備えてあった。
 正面には、煙草を銜える背の高い男が立っていた。ここへ来る客には珍しく、形のいいスーツを身に纏う、まだ若い、三十代半ばの男である。怜悧に整った面貌をしている。
 だが、男に抱え込まれ、暴れ回る国龍には、そんなことなど何も見えてはいなかった。
「随分、気の強そうな子供だ」
 煙草を銜える男が言った。
「え、ええ、まあ……。こらっ、おとなしくしないかっ!」
「いやだあ――っ! 水龍! 水龍!」
 口から零れるのは、自らの片割れの名前だけだった。
「――水龍?」
 客が、その言葉を聞いて、眉を寄せる。
「ええ、こいつの弟の名前で……。そっちの方も今日が初めてで……」
「なるほど。それでは暴れるのも無理はないな」
「すぐにおとなしくさせますから」
 男はそう言い、
「静かにしないかっ。美国へ行きたいんだろ!」
 と、少し声を落として、国龍の耳元で咎め立てる。
「いやだあ――っ! 放せっ。放せったら! 水龍が死んじゃうじゃないか!」
「おまえが目の前にしている男は、台湾や美国、この福建の地下では知られた男だ。――解るか? この福建から美国へ船を出している堂口(組織)の人間だ。彼を怒らせたら、おまえは一生、美国行きの船には乗れなくなるぞ」
 その言葉に、国龍はバタつかせていた手足を、ピタリ、と止めた。叫びを上げていた喉も閉ざし、目の前の客を、茫と見上げる。



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