幸せの椅子【完結】

竹比古

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Runaway 5

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 家の中に入り、風呂場で洗濯物のようにゴシゴシと洗われた二人は、再び、大柄な男を前にしていた。
 お世辞にも〃きれい〃とは呼べない一室で、のことである。
 クモの巣の張った天井と、黄色く染まったカーテン、ヒビの入った壁、奥にある鶏小屋から漂う独特の臭い、煙草の臭い、人間の臭い……それらが染み付き、暗く淀んだその部屋で二人が聞いた言葉は、借金の金額だった。
「……一千圓チッチェンコー(元)?」
 水龍の薬代と、ここまでの馬車代は、一千元という途方もない金額になっていた。
 その金額を、大柄な男は、あの小柄な男に立て替えて支払った、というのだ。
 さらに、美国に行くには、その何十倍もの金がいる、という。
 数の数え方さえ解らない二人には、もう想像すらできない金額だった。もちろん、最初の一千元という金額も、何度も説明を受けなければ、解らなかった。
「まあ、借金を返したら、渡航費用の一割を稼いで、残りは美国に着いてから返すことになるだろうな」
 男はそう言い、
「おい、ナイナイ(婆婆)、このチビにも仕事を回してやってくれよ」
 と、干からびた、いかにもごうつくババア、といった感じの老女に声をかける。
 老女は、フンっ、と鼻を鳴らしただけだった……。



 二人の仕事は、着いたその日から、あった。掃除や洗濯、食事の支度の手伝い、鶏の餌やり、小屋の掃除……やることは多かったが、それでも農家での力仕事や、あちこち走り回る仕事に比べれば、随分、楽なような気がしていた。
 一週間後に、二人合わせて、七元のお金をもらったが、それは、借金の返済と、ここでの食事代、洋服代に消え、手元には全く残らなかった。
 返済に回す稼ぎよりも、食事代や雑費の方が多くかかるのだ。
 数週間働いても、借金を返せる見通しはおろか、美国へ行くための金が溜まる見通しさえ、全く、つかなかった。
 そんな生活に不安を感じていた時、婆婆にこう言われたのだ。
「早く金を稼ぎたきゃ、客を取ることだね」
「……客?」
 国龍も水龍も、その言葉の意味を知らない訳では、なかった。置屋に売られる子供はたくさんいたし、ここも、その置屋の一つだったのだ。
 だが、それは、二人よりももっと大きな、それも女の子の話であり、男である彼らには関係のないことだったはずなのだ。
「おまえたちのように、きれいな男の子と遊びたがる客もいるのさ。男の子は九つになるまで客は取らせないが、やりたいものを止めやしないよ」
「……」
 やりたいのか、やりたくないのかは、国龍にはまだ、判らなかった。――いや、それで金が稼げるのなら、多分、やりたかった。ただ、それがどんなことであるのかまでは、解らなかったのだ。客が、幼い子供とどういう風に遊びたがっているのかが。
「ぼく……ぼく、やだ……。女の人が泣いてたの、知ってる……。男の人にいじめられて、たすけて、とか、ゆるして、とか言ってた……」
 国龍の服の裾をつかんで、水龍が言った。
 その水龍の言葉を、心底楽しげに笑い飛ばしたのは、婆婆だった。
「ハッハッ! 女は男に乗られて喜んでいるのさ。あんまり良くってね。――おまえたちも、九つになったら厭でも客を取なきゃならないんだから、それくらいは覚えておきな」
 と、歯の抜けた薄気味悪い口で、ニヤリ、と言う。
「……九つになったら?」
「ああ、そうさ。たっぷりと稼いでもらわないとね」
 その婆婆の言葉に、水龍はすっかり脅えていた。客に苛められている女の声を聞けば、誰でもそうなるだろう。今にも死んでしまいそうなほどの、苦しげな声を上げるのだ。
 だが、国龍は――。
「オレ……オレ、やってもいい。金たくさんくれるのなら、明日から、やる」
「……国龍?」
 目を瞠ったのは、水龍だった。
「女の人が、いじめられて泣いてたんだよ。ひどいことされるんだよ。それなのに――」
「うるさいなっ。どうせ九つになったらやるんだから、いっしょだろっ」
 怖くなかった訳ではないのだ、国龍にしても。それでも、お金が欲しかったし、何より、水龍の前で怖がっているところを見せるのは、小さなプライドが許さなかった。
「ホゥ。いい眼をした坊やだ」
 もう引くことも、出来なかった。
「オレ……やるけど、どうやったらいいのかわからないし、どんなことするのかも……」
「ただ客に言われた通りにしていればいいのさ。横になって寝ていれば、すぐに済む」
「……」
 その日の夜、国龍は、なかなか寝付くことが出来なかった。水龍が眠っているのを確かめては、婆婆のところへ「やっぱり、やめる」と言いに行こう、と何度も思った。
 だが、結局それは、出来なかった。
 今から思えば、幼い子供に無理やり客を取らせることより、自分の意志で客を取らせることの方が、よほど残酷なことだったに、違いない……。


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