上 下
42 / 70

差し出された手

しおりを挟む

 山中だからか、昼間だというのに、樹々の向こうは霞がかかったように薄らいでいた。
 ふと、アザミの持つ物質変換の【アルカナ】のことを思い出したが、あれほど濃い霧という訳ではない。
「おい、藤堂、急ぐなよ。前を確かめながら進め」
 郡司は言ったが、藤堂は、
「タヌキを見失っちまう」
 と、どんどん先に歩いていく。それは、郡司の足でも追いつくのがやっとの速さで、すぐに息が切れ始めるほど――。それなのに、タヌキと藤堂は変わらぬ顔をして進んでいる。
 足元はただ枯れ葉が積もっただけの山道に思えるが、木の枝や根っこ、石などが隠れていて、うっかりすると転びそうになってしまう。
「うわっ!」
 ――ホラ。
 枯れ葉の下の石を踏んでしまい、郡司はそのまま転んで、両手をついた。
「イタタタ……」
 漏らした苦鳴に差し出されたのは、
「はい」
 白く、きれいな指先だった。
 それに、その声――!
「紗夜!」
 郡司は思いがけずに顔を上げ、目の前の人物に焦点を合わせた。
 そこにいたのは間違いなく、あれから捜し続けていた、行方不明の妻、紗夜の変わらない笑顔だった。
「あーあ、怪我したら大学の人に迷惑をかけるわよ」
 と、子供にするように、郡司の手のひらの土をハタいてくれる。
「紗夜……どうしてここに……」
「あら、一緒に来たじゃない。今日はせっかくの休みで、ハイキング日和なんだから」
 木洩れ日が透ける秋の高い空を見上げて、紗夜が言った。
「一緒に……?」
 そういえば、紗夜も動きやすいパンツスタイルで、背にはリュックを背負っている。
「そうか……。そうだったな」
 休日は昼近くまで寝てしまうことが多いが、今日は朝からよく晴れていて、ガラにもなくハイキングに行こう、ということになったのだった。本来、あまりアウトドア派ではない郡司だったが、整備されたハイキングコースを歩いて、お弁当を食べるくらいなら――と、紗夜に促されるままに出て来たのだ。そして、出てきたら出てきたで調子に乗って、うっかり足を取られて転んでしまった。
「よし、弁当目指して歩くぞ!」
「クスクス! 展望台目指して、でしょ」
 紗夜の笑い声に、足もすっかり軽くなってしまった。いくらでも、どこまででも歩いて行けそうで、疲れも感じなくなったくらいだ。
 今日も紗夜は可愛くて(その可愛さからは想像もできないが、柔道の有段者なのである)、左手の薬指には郡司とお揃いの結婚指輪(当然だが)、服はスポーツメーカーの動きやすいもの、肩にかかる髪はシュシュで束ね、子供が出来たら切った方が楽かも、などと言っていた。
 紗夜と手をつないで歩きながら、郡司は自分の妻さえ観察してしまう自分の職業病に、苦笑を零した。
 そういえば、最近やたらと『観察している場合ではないのに、観察してしまう』という状況になり、今のように苦笑いを零すことが多々あったような気がする。
 加えて……何かが心に引っ掛かっていて、すっきりしない。山の空気は澄み、こんなにも自分は幸福に満たされているというのに――。
「ねェ、今度の休みも出かけましょうよ」
 体を動かすことが好きな紗夜は、まだ今日が終わってもいないのに、次の休みの予定を口にする。
「いいけど――。どこに行きたいんだ?」
 郡司は訊いた。
「そうねェ……」
 紗夜の声を待つ間、郡司はいやに自分が落ち着かず、ソワソワしていることに気が付いた。自分で自分を観察している自分を見つけたような感覚である。胸騒ぎのような、紗夜の行きたい場所を一秒でも早く聞きたいような……。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

《 XX 》 ――性染色体XXの女が絶滅した世界で、唯一の女…― 【本編完結】※人物相関図を追加しました

竹比古
恋愛
 今から一六〇年前、有害宇宙線により発生した新種の癌が人々を襲い、性染色体〈XX〉から成る女は絶滅した。  男だけの世界となった地上で、唯一の女として、自らの出生の謎を探る十六夜司――。  わずか十九歳で日本屈指の大財閥、十六夜グループの総帥となり、幼い頃から主治医として側にいるドクター.刄(レン)と共に、失踪した父、十六夜秀隆の行方を追う。  司は一体、何者なのか。  司の側にいる男、ドクター.刄とは何者なのか。  失踪した十六夜秀隆は何をしていたのか。  柊の口から零れた《イースター》とは何を意味する言葉なのか。  謎ばかりが増え続ける。  そして、全てが明らかになった時……。  ※以前に他サイトで掲載していたものです。  ※一部性描写(必要描写です)があります。苦手な方はご注意ください。  ※表紙画:フリーイラストの加工です。

後悔と快感の中で

なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私 快感に溺れてしまってる私 なつきの体験談かも知れないです もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう もっと後悔して もっと溺れてしまうかも ※感想を聞かせてもらえたらうれしいです

推理小説家の今日の献立

東 万里央(あずま まりお)
キャラ文芸
永夢(えむ 24)は子どもっぽいことがコンプレックスの、出版社青雲館の小説編集者二年目。ある日大学時代から三年付き合った恋人・悠人に自然消滅を狙った形で振られてしまう。 その後悠人に新たな恋人ができたと知り、傷付いてバーで慣れない酒を飲んでいたのだが、途中質の悪い男にナンパされ絡まれた。危ういところを助けてくれたのは、なんと偶然同じバーで飲んでいた、担当の小説家・湊(みなと 34)。湊は嘔吐し、足取りの覚束ない永夢を連れ帰り、世話してくれた上にベッドに寝かせてくれた。 翌朝、永夢はいい香りで目が覚める。昨夜のことを思い出し、とんでもないことをしたと青ざめるのだが、香りに誘われそろそろとキッチンに向かう。そこでは湊が手作りの豚汁を温め、炊きたてのご飯をよそっていて? 「ちょうどよかった。朝食です。一度誰かに味見してもらいたかったんです」 ある理由から「普通に美味しいご飯」を作って食べたいイケメン小説家と、私生活ポンコツ女性編集者のほのぼのおうちご飯日記&時々恋愛。 .。*゚+.*.。 献立表 ゚+..。*゚+ 第一話『豚汁』 第二話『小鮎の天ぷらと二種のかき揚げ』 第三話『みんな大好きなお弁当』 第四話『餡かけチャーハンと焼き餃子』 第五話『コンソメ仕立てのロールキャベツ』

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi
キャラ文芸
西域の女商人白蘭は、董王朝の皇太后の護符の行方を追う。皇帝に自分の有能さを認めさせ、後宮出入りの女商人として生きていくために――。 そして奮闘する白蘭は、無骨な禁軍将軍と心を通わせるようになり……。

霊媒姉妹の怪異事件録

雪鳴月彦
キャラ文芸
 二人姉妹の依因 泉仍(よすが みよ)と妹の夢愛(めい)。  二人はほぼ無職ニートで収入無しの父、真(まこと)を養うため、生まれながらにして身につけていた“不思議な力”で人助けをしてお金を稼いでいた。  医者や人生相談では解決困難な特殊な悩みを抱えた依頼人たちのため、今日も二人は駆け回る。 ※この話はフィクションです。作中に登場する人物・地名・団体名等は全て架空のものとなります。

つるかめデパートのひみつ

その子四十路
児童書・童話
【九州のすみっこの田舎町に、その村はありました。きつね火村と呼ばれています。 のどかな景色のなか、ひときわ目立つ、レトロな建物はなんでしょう。 あれは、栄太郎くんの両親が経営する『つるかめデパート』です。 ひいおじいちゃんの代から続く、創業一◯◯年のしにせです。 じつは、つるかめデパートにはそんじょそこらのデパートとはちがう、大きなひみつがあったのです。】 つるかめデパートには妖怪が住みついている?!  小学生のなかよし姉弟が、うわさの真相にせまる! かわいいもふもふが大活躍♡ ほっこり、あやかし物語。

処理中です...