魔窟降臨伝【完結】

竹比古

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陸弐

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 しかし、突如として、輪とトルウを結ぶ空間の中心、その地上三メートルの地点に、陽炎が立ち昇るような揺らめきが、生じた。
「……そういや、九龍城砦の存在を善しとしない奴は、まだいたんだっけ」
 輪は、歪みから現れた青年を見上げ、ぽつり、と零した。
 伝説の幻術師――蜃。
 精霊シイのように美しいその様は、今日も貴く、この世ならぬ者として、色づいている。
 しかし、その彼の黒瞳は、輪でもトルウでも、況してや少女でもないものを、見つめていた。
 血の匂いが、する。
 結界のせいか、足音も気配もしなかったが、蜃の視線を追った先には、この世のものとは思えない、醜い老婆が立っていた。胸や唇から血を流し、墓場から抜け出して来たような格好で、歩いている。
「派手にやられたみたいだな、ナイナイ」
 凄惨さを物語るようなその姿を見て、輪は言った。
「フンっ。くたばり損ないに一発くらっただけのことさ。最後で油断しちまってね。――おまえの方こそ、何をグズグズしてるんだい」
 自ら血止めと痛み止めの処置を施しているのだろう。傷は背から胸まで、数箇所に渡って何かに貫かれた痕を残しているというのに、その悪態は健在である。
 そして、輪の傷の痛みも止まっていた。微かに動いた婆婆の指先から放たれた、不可視の針の効力である。
「暴れ回る訳にも行かない訳があって、ね。あんまり煩くすると、寝た子が起きる。そこに寝てる火鴉の中身を起こすなよ、ナイナイ」
 その言葉に、婆婆の視線が、仔猫のように眠る少女へと、ゆっくりと落ちた。そして、戸惑うように、揺れ動いた。
「ハッ、とするくらいにきれいな子だろ? 仔猫みたいでさ。結構、気に入ってるんだ。静かに寝かせておいてやりたい、と思うくらいには」
 穏やかな眼差しで、輪は言った。それは、思いがけず優しいものでも、あった。
 かつて、彼がそんな表情をしたことがあったであろうか。愛し子を見守るような、恋人を慈しむような。
「蜃様、この娘は……」
 婆婆の言葉であった。
 蜃は、ゆっくりと一度、瞬きをした。
「……やはり、姥殿には判るか。その娘、そなたが思っている通り、その少年と共に生まれて来た片割れだ。双子、といっても、男と女の二卵性であるが所以に、兄妹、というほどにも似てはいないが、姥殿の知る者――両親の面影は継いでいるやも知れぬ。それに、美しさだけを言うなら、二人は確かに双子だろう」
「双子……?」
 蜃の言葉に戸惑ったのは、輪であった。蜃は、その少女が輪の妹である、と言ったのだ。同じ時に生まれて来た片割れであると。
「そうでございましたか。輪の妹は、あなた様の御側に召されておりましたか」
 婆婆は言った。こちらの方は、もう惑いも消えたらしい。
「以前、姥殿から聞いた言葉が気になって、探していただけのこと」
 以前――。そう。以前、確か婆婆は、蜃を前にこう言ったのだ。
 輪は死者と共に生まれて来た子供である、と。
 それは、双子であるにも拘わらず、一方はすでに死人しびととして生まれ落ち、この世で目を開くこともなく、あの世に迎え入れられたことを言っていたのだろう。
「まだ自分と他人の自覚もない無垢な時に死んだために、彼女は双子の兄の心を自分のものとして、別の世界で成長したのだろう。そうでなくとも、双子が精神を共有しあうことは、現代では不思議もなく知られている。そして、火鴉は、彼女のその美しき面貌を愛したのか、その汚れなき心に惹き寄せられたのか……いや、火鴉が惹き寄せられたのは、彼女が父親から受け継いだものであったのだろう」
「――ケルトの血、でございますか」
 多くを含む言葉で、婆婆は言った。
 ケルトの血――。輪と少女の父親は、片眼のアイルランド人であったのだ。そして、それだけではなく……。
「ケルトの……古の血。火鴉さえも虜にする人外の――」
 人外の――。ならば、輪とその少女は……。
「兄は人の子の血を強く継いだために、この世界に生まれ落ち、妹の方は人外の血を強く継いだために、古の神々が堕とされた海の底に……或いは地の底に、生まれ堕ちたのだろう。そして、それに惹き寄せられた火鴉は、彼女を自らの内に棲まわせ、彼女の願いを――めいを聞き入れた」
 神の血をひく者の命令を――。


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