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伍玖
しおりを挟む「……彼女は、私が織り上げた呪歌の籠の中にいる。肉眼では見えまい。たとえそなたが、彼女の呼び声に惹かれて来たのだとしても」
「あの鴉、メス?」
そういうところに拘るらしい。
「あの精霊のように美しい青年……そなたらが蜃様と呼ぶ、この世のものではない御方が言っておられた。彼女は人を畏れぬが、人は彼女を畏れるがいい、と」
「あいつ、何でも遠回しに言うみたいだから、ちゃんと図書館に行って本を借りて、調べてみた方がいいぜ。その間、ぼくがあの火鴉を預かっておいてやるからさ」
性格の掴めない少年である。
今の彼の姿を見て、さっき魔法使いの首を撥ねた少年と同一人物だ、と思う者はいないだろう。
「人は彼女に手を出してはならぬのだ。私に出来ることは、彼女の前に頭を垂れ、ただ一向(ひたすら)に《再生の車輪》を断ち切ってもらえるよう、願うだけ」
「ふーん。――でも、彼女はぼくを呼んだ。あんたの願いは、叶えてくんないかも知れないぜ」
「……」
「残念だったな。――まあ、あんたの器量なら、他にいい女が一杯よって来るからさ。鴉なんか相手にしなくても、男も女もよりどりみどりで楽しめるさ。ナイナイの売春窟にもいい女がいるし」
「私は彼女のためなら、喉がちぎれるまで呪歌を謡い続けることも厭わないだろう。そして、君を呪歌で消滅させることも」
「鴉には手が出せないが、ぼくになら出せる、って訳か。えこひいきだな」
そういう問題ではないように思える。が、トルウの言葉を宣戦布告である、と理解していることだけは確かであっただろう。
「なら、早速始めるとするか。時間もないことだし」
輪は、ネイルを嵌めた繊手を身構えた。
「……彼女の位置が見えない君に、私を攻撃することが出来ると? もし、彼女が私の前にいるのだとすれば、君の武器は、彼女を斬り裂く。彼女の死に、この九龍城砦も《再生の車輪》から弾かれるだろう」
トルウの言葉は淡々としていて、その意味を告げるに相応しいものであった。《再生の車輪》を司っている火鴉の死は、この九龍城砦の消滅に外ならないのだ。
だが――。
「なら、何であんたは火鴉を殺さないんだい? そいつを殺せば、九龍城砦は消えるんだろ?」
輪は訊いた。
「言ったはずだ。彼女は人を畏れぬが、人は彼女を畏れるがいい――。この世のものではない御方の、その言葉がある限り、私に彼女を殺すことは出来ない。もし出来たとしても、特種の超自然的エネルギーが充たされ、自然と超自然の壁が取り除かれる《ルグナサーの宵》でなければ、元の建造物をこの地に呼び戻すことは出来ない。塚が開かれ、全ての神性を持つものや、死人の霊が自由に行き来するその時なら、他の地に紛れ込んだ元の建造物も、捕らえることが出来るだろう。そして、九龍城砦の消滅と引き換えに、呼び戻すことが出来る」
「歴史博物館や公園がここに戻って来たって、そこは、人間を寝泊まりさせてくれないんだぜ。もちろん、商売もさせてくれない。あんたらには悍ましい魔窟でも、ここにしか家のない――仕事のない連中が大勢いるんだ」
「……。ここは人の暮らせる場所ではない。あらゆる悪が棲みつき、汚く、非衛生的で、子供たちは学校へも通わせてもらえず、客を取らされ、虫ケラのように殺されて行く。麻薬に溺れ、武器の使い方を覚え、人を殺すことなど何とも思わなくなる。毎日、人が死んで逝くことが当たり前になり、ある者は病気になって死に、ある者は飢えて死に――。こんな場所を存在させておいてはならない。《再生の車輪》は、このような場所で使われるべきものではないのだ。――こんな場所を甦らせて、何になる? 麻薬、売春、不法入国者、犯罪者、密輸密売業者……そんな人間が入り込んで来るだけだ。女は泣き、子供は無気力になり、強い者たちの餌食となる。《再生の車輪》は、失われた貴い地を甦らせるためにこそ、使われて然るべきものなのだ」
「言いたいことはそれだけかい?」
輪は、熱弁を奮うトルウの面を、冷ややかに見据えた。
誰が聞いても、トルウの言葉の方が正しい、と思えるはずであるのに、その輪の言葉は、心の中に、得体の知れない疑問を生じさせずにはいられないものであった。
本当にそれでいいのか、と。
だが――。
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