魔窟降臨伝【完結】

竹比古

文字の大きさ
上 下
48 / 65

肆捌

しおりを挟む


 中英間の九龍城砦についての話し合いは、依然、結論を見そうになかった。――いや、九龍城砦の問題は、最早、国の手に負えるようなものではなかったのだ。《再生の車輪》を断ち切らない限り、九龍城砦は何度取り壊しても、甦る。
「我々は、その輪を断ち切るすべを手に入れた」
 夕刻を迎えた九龍城砦の汚損家屋の一室で、グローヌの杖に止まる火鴉を見上げて、カフヴァは言った。
 三本の足を持つ神獣――火鴉。
 その黒き獣こそ、《再生の車輪》に宿る、人を畏れぬ御使いなのだ。
 竪琴の音が、ひどく懐かしい響きで、鳴り渡った。
 微妙な音の高低が、トルウの喉から零れ落ちる。
 言葉であるはずの言葉のない、韻律だけが意味を持つ、呪歌である。
 竪琴を奏でる指先が、美しく澄み渡る旋律が、太陽の恵みを、月の神秘を、紡ぎ、重ねる。
 せせらぎが光を弾く音であった。
 森に木洩れ陽が差す歌であった。
 風が季節を運ぶ声であった。
 湖に銀輪の堕ちる旋律であった。
 迷い子が夜に銀光を見つける詩であった。
 時だけが止まらずに流れる韻律であった。
 風が、凪ぐ。
 呼吸が、止まる。
 胸が、詰まる。
 トルウの喉と竪琴が紡ぎ出す呪歌に、カフヴァの面も、グローヌの面も、そして、火鴉の面も、伝説を見る刹那のように、凍っていた。
 結界を張り巡らせた汚損家屋の一室に、太初からの輪廻が、果てなく廻る。
 口承で受け継がれて来た伝説の全てが、不思議な旋律の中に甦る。
 懐かしい――人々はそう思うだろう。
 己が確かに、過去に生きていたことを知るだろう。そして、未来にも生まれて来ることを学ぶだろう。
 これが、呪歌の力なのだ。
 見よ、それを聴く火鴉の黒身を。漆黒の艶やかな羽根を一枚残らず細かく震わせ、その呪歌に共鳴しているではないか。逃れようもない旋律に囚われるよう、全身の羽根を逆立てて。
「始まったか」
 そう言ったのは、賢者カフヴァであった。その青き双眸は、じっと火鴉の変化を見守っている。
 呪歌が続く中、火鴉は確かに変化していた。艶光る黒身を大きく反らし、自らが発光体であるかのように、銀色の仄かな光を放っている。
 黒い羽根が、長く伸びた。ゆうるりとした動きで、女魔法使いドルイダスの杖を覆って行く。
 竪琴の弦が、月光を弾く。
 刹那、火鴉の全身から、パァ、と銀色の光が飛び散った。
「く――っ!」
「おお!」
 解放の力に圧される短い苦鳴と、目の前にしている美しい神秘への感嘆であった。
 銀光を撒き散らした火鴉の姿は、白い光に眩しく覆われ、正視できる範囲のものではなかった。
 千々に砕け散った光の珠が、粉雪のように降り注ぐ。
 淡く消えて行く光の夢が、徐々に中心にいる火鴉の姿を映し出した。
「これは――」
 一同の面が凍りついた。
 火鴉は最早、火鴉ではなかった。呪歌によって、内なる姿を現したのだ。
 それは――。


しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

処理中です...