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肆捌
しおりを挟む中英間の九龍城砦についての話し合いは、依然、結論を見そうになかった。――いや、九龍城砦の問題は、最早、国の手に負えるようなものではなかったのだ。《再生の車輪》を断ち切らない限り、九龍城砦は何度取り壊しても、甦る。
「我々は、その輪を断ち切る術を手に入れた」
夕刻を迎えた九龍城砦の汚損家屋の一室で、グローヌの杖に止まる火鴉を見上げて、カフヴァは言った。
三本の足を持つ神獣――火鴉。
その黒き獣こそ、《再生の車輪》に宿る、人を畏れぬ御使いなのだ。
竪琴の音が、ひどく懐かしい響きで、鳴り渡った。
微妙な音の高低が、トルウの喉から零れ落ちる。
言葉であるはずの言葉のない、韻律だけが意味を持つ、呪歌である。
竪琴を奏でる指先が、美しく澄み渡る旋律が、太陽の恵みを、月の神秘を、紡ぎ、重ねる。
せせらぎが光を弾く音であった。
森に木洩れ陽が差す歌であった。
風が季節を運ぶ声であった。
湖に銀輪の堕ちる旋律であった。
迷い子が夜に銀光を見つける詩であった。
時だけが止まらずに流れる韻律であった。
風が、凪ぐ。
呼吸が、止まる。
胸が、詰まる。
トルウの喉と竪琴が紡ぎ出す呪歌に、カフヴァの面も、グローヌの面も、そして、火鴉の面も、伝説を見る刹那のように、凍っていた。
結界を張り巡らせた汚損家屋の一室に、太初からの輪廻が、果てなく廻る。
口承で受け継がれて来た伝説の全てが、不思議な旋律の中に甦る。
懐かしい――人々はそう思うだろう。
己が確かに、過去に生きていたことを知るだろう。そして、未来にも生まれて来ることを学ぶだろう。
これが、呪歌の力なのだ。
見よ、それを聴く火鴉の黒身を。漆黒の艶やかな羽根を一枚残らず細かく震わせ、その呪歌に共鳴しているではないか。逃れようもない旋律に囚われるよう、全身の羽根を逆立てて。
「始まったか」
そう言ったのは、賢者カフヴァであった。その青き双眸は、じっと火鴉の変化を見守っている。
呪歌が続く中、火鴉は確かに変化していた。艶光る黒身を大きく反らし、自らが発光体であるかのように、銀色の仄かな光を放っている。
黒い羽根が、長く伸びた。ゆうるりとした動きで、女魔法使いの杖を覆って行く。
竪琴の弦が、月光を弾く。
刹那、火鴉の全身から、パァ、と銀色の光が飛び散った。
「く――っ!」
「おお!」
解放の力に圧される短い苦鳴と、目の前にしている美しい神秘への感嘆であった。
銀光を撒き散らした火鴉の姿は、白い光に眩しく覆われ、正視できる範囲のものではなかった。
千々に砕け散った光の珠が、粉雪のように降り注ぐ。
淡く消えて行く光の夢が、徐々に中心にいる火鴉の姿を映し出した。
「これは――」
一同の面が凍りついた。
火鴉は最早、火鴉ではなかった。呪歌によって、内なる姿を現したのだ。
それは――。
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