魔窟降臨伝【完結】

竹比古

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肆弐

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「生きたままこの世界へ迷い込んだ人間の話も、色々読んだよ。湖に近い森の中から、美しい乙女が迎えに来たり、霧の中から現れた男の後について行ったり、助けた亀に案内されたり――。似たような話が山ほどあった。今回、ぼくは、見たこともない三本足の鴉が飛んでるのを見て、その後を追いかけて来た。洞窟がなかったから、この地下水路を使って――。あんたの肩から鴉を奪って、ここから戻った時、ぼくが何歳になってるのか、不安だよ。一〇分や二〇分で鴉を渡してくれるとは思えないからな」
 肩を竦めるように、輪は言った。
 何しろ、この世界に生きたまま訪れた者の全てが、物質的世界――元の世界に戻った途端、老いや消滅、という形で、時間の限界を超越したツケを支払わされているのだ。
「ならば、先客がいることも伝えて置かなくてはなるまい」
 玲瓏な青年、蜃は言った。
「え? ぼくが一番じゃないのかよ。もしかして、ナイナイがポックリ逝っちゃったとか?」
 情け容赦ない言葉である。
 だが、蜃の後ろから現れたのは、干からびた魔窟の主ではなく、長衣を纏う、異国からの訪問者であった。
「君と同じように、瀕死の傷を負って、この世界へ迷い込んで来た」
「クソォっ、ナイナイの奴だな。余計なことをしやがって――。何であんたも、ぼくを追い返した時と同じように、そいつらを追い返さなかったんだよ。えこひいきじゃないかっ」
 どうやら本気でむくれている。自分がのけ者にされていた、ということも気に食わないのだろうが、それ以上に、本来なら自分が一番であった、ということの方が気に食わないのだ、この少年。
 偽りなく悔しそうだから、憎めない。
「ぼくを一旦、追い返したからには、あんたもそっち側なんだろうな?」
 と、幻のような青年に、問いかける。
 この二人の美しさの前には、神々も喜んでこうべを垂れるだろう。
「さて。中立といきたいが、再生した九龍城砦が、私の楼に害を及ぼすものなら、このまま放っておく訳にはいかない」
「四対一――いや、鴉も入れると、五対一か」
 圧倒的に不利な状況であるというのに、この少年、結構楽しそうである。
たかどのに影響が出る前に、と私なりに色々と調べてみたが、どこまでが偶然で、どこからが意図的なものなのかは、まだはっきりしていない」
「どうしてこうなったのか、なんて関係ないさ。今、ここにあるものだけが現実だ。ぼくは話し合いで解決してやるほど、ご立派な人間じゃないぜ」
 言うなり、輪は、四人の元へ――火鴉かうも含めて五人の元へと地表を蹴った。
 怪我人とは思えない軽やかさで跳躍し、鮮やかな繊手に、銀色のネイルをきらめかせる。――そう。この世界にあっては、物質的世界で負った傷など、全て無効と化しているのだ。輪の体についた傷の痛みも、この世界に迷い込んだ時から、消えている。
 ここは、冥界の一歩手前――長く立ち止まることは許されない、冥界への門。
 ヒュン、と美しいネイルが、風を斬った。
 艶やかな舞いが人々を魅了し、ほぼ斜一文字に銀色の光が駆け抜ける。
 五人の元まで、ほぼ三メートル五〇センチ離れた場所であった。
 キン、と竪琴が、十一弦を鳴らした。同時に、輪の指先を飾る銀色のネイルが、塵と化して砕け散る。
 砂のような光となり、舞うようにしながら消えるその姿は、この世界に降る雪のようでもあった。
「そなたの攻撃など、我らの前にはすでに通用せん。トルウの持つ竪琴の弦は、無垢な乙女にしか手を触れさせん一角獣ユニコーンたてがみ――。それに触れることを許されているのは、トルウのみ。彼と神獣ユニコーンが奏でる旋律の前には、人の子の武器など役に立たん」
 白髭の魔法使いドルイド、カフヴァは言った。
 長衣が赤黒く染まっていることが、人の世での痛手の深さを物語っている。
「武器は、目に見えるものとは限らないぜ」
 白い唇が、ニヤリ、と歪んだ。
 赤みがかった妖しい瞳が、戦士の持つ気高さを色付けている。
「ぐふっ!」
 刹那のことであった。白髭の魔法使いドルイドカフヴァが口を覆い、そこから大量の血を吐いた。
「お師匠様!」
「賢者カフヴァ――」
 盲目の女魔法使いドルイダスと、金髪の吟遊詩人バードが、足を踏み出す。が、彼らもまた、ぐっ、と苦しそうに呻きを上げ、カフヴァと同じように血を吐いた。
 もし、今、彼らの長衣を捲って見る者があれば、その鳩尾部分に、斜一文字の痣が残っているのが見て取れただろう。
 斬れている訳では、ない。凄まじい速度で駆け抜けたネイルの風圧によって、ついた傷である。それは、皮膚を斬らずに内臓を破裂させ、無残な最期を呼び招く。


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