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参玖
しおりを挟む「お師匠……様……」
「わしに構うでない……。トルウの治癒を……。彼を失っては……いかん……」
血塗れで蠢く三者の姿は、上空から見れば、奇妙なイモムシが動いているようにも見えたかも、知れない。身に纏う長衣が、そう思わせるのだ。
グローヌの両手が、トルウの心臓の上に、影を作った。その両手からも、トルウの胸からも、真紅の血が噴き出している。
低い音程を持つ呪文が、零れ落ちた。
呪文とは、杖と同じにただの象徴であるのか、苦しさにはっきりとしないその言葉でも、血の勢いは収まって行く。
呪文も杖も、内なる力を一か所に集めやすくするための道具でしかないのだ。以前、グローヌ自身が言ったように、杖や呪文が失くとも、魔法を使うことは出来るのだろう。
杖は魔法使いの象徴であり、呪文は魔法使いの知識――それを持たない者は魔法使いとは認められないが、魔法が使えない訳ではない。
だが――。
だが、一度止まりかけたその血も、またすぐに溢れ出して来るではないか。針が血管を巡っている限り、その癒しの術も役に立たないのだ。
「どうして……」
グローヌの面が、戸惑いに変わった。不可視の針が体内を巡っていることなど、彼女には――彼ら三者には知りようもないことなのだ。
グローヌの瞳が、ゆうるりと、閉じた。盲目であっても、目を開けている時と、閉じている時では、集中力が違うのかも知れない。
何かを探るように、全神経を、トルウの胸に翳した両手に集めている。
目の見えない彼女に神々が与えたもの――
人に見えないものを視る力で、トルウの体内の異変を探っている。
その手のひらは、トルウの体内を巡る不可視の針の存在を感じたであろうか。
ハッ、とグローヌの面が持ち上がった。すでに血の気のない――いや、その面は真紅の血で濡れ染まっているが、その下は血の気のない面貌である。
「体内に……針が……」
グローヌは言った。
トルウの喉に手を翳し、呪歌を紡ぐために必要な声を取り戻させるためか、その部分の治療を始める。
魔法使いの呪文と違って、自然と超自然の力が調和する声で、自然と一体になる音程で呪歌を紡がなくてはならない吟遊詩人の喉は、何よりも大切なものなのだ。魔法使いの呪文は絶対の必要性はないが、吟遊詩人は、その巧みな韻律が、大いなる力となるのである。
血の泡を溜める唇が、微かに、小刻みに、動きを創った。
「しぶとい輩だね」
隣のビルに立つ婆婆の言葉である。
再び、指先に挟んだ極細の針を、ほんのわずかな動きだけで、三者に飛ばす。
年寄りは、大きく動くことを嫌うのかも知れない。動きの大きい華麗な技は、あの美しい少年にこそ、相応しいのだ。
はあっ、といきなり、その針を吹き飛ばすような気合が飛んだ。
賢者カフヴァが杖を翳し、最後の力を振り絞るように、重き結界を築いている。その結界は、婆婆の放った針を無効と化し、グローヌとトルウを攻撃から守った。
ちっ、と婆婆が、舌を打つ。最も婆婆らしい悪態である。
「潮時のようだね。長居をしないことも、この魔窟で生きるための知恵だ」
婆婆の姿は、ビルの屋上から、陰へと消えた。
空気に染み渡るような声が聴こえたのは、そのすぐ後のことであった。
高くもなく、低くもなく、強くもなく、弱くもない、不思議な韻律を結ぶ声で、吟遊詩人トルウが、空気の色さえ染め変え始める。
竪琴を奏でる指先が、音を繋ぐ澄んだ喉が、今、自然と一体となる。
パァ、と光がきらめいた。
体内に仕込まれた不可視の針が、きらめく光となって、砕け散る。
だが、三者が受けたダメージは、あまりにも大きなものであった。
《ルグナサーの宵》まで、あと一週間――。それまでに傷を癒し、《再生の車輪》を断ち切る術を見つけることが出来る、というのだろうか。
賢者カフヴァは力を使い果たしてその場に倒れ、グローヌもまた同様に崩れ堕ち、治癒を受けたとはいえ、トルウもまた、体内の血液の多くを失っているのだ。
まず、三人に必要なものは、輸血であろう。傷だらけの血管も、修復しなくてはならない。
だが、癒しの術を操る魔法使いが倒れた今、彼らに助かる道はあるのであろうか。――いや、あらゆる才に溢れるルーグは、確か、治療師の力も有してはいなかったか。なら、その名をウェールズでの同族語で持つトルウも、また――。
喉が奏でる韻律と共に、竪琴が人が知り得るものではない音を、紡ぎ出す。
吟遊詩人トルウ――彼は、神々の寵愛を受けて生まれて来た者なのだ……。
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