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参捌
しおりを挟む「欲に目が眩んだ人間ほど、愚かな者もあるまい。目先の利益に心を奪われ、隣り合わせに存在している危険には目もくれなくなる」
女魔法使いグローヌから、遠視で視たその会議の様子を聞き、賢者カフヴァは、胸元を覆う白い髭を苦々しく摩った。
薄く雲のかかる天空には太陽が輝き、月が透き通るような透明感で、浮かんでいる。
陽がある内の月は儚げで、太陽が残した残像のようにも、見える。
「《再生の車輪》か……」
それを見上げての、呟きであった。
彼らも知っているのだ。それが《再生の車輪》である、ということを。
だが、その《再生の車輪》が、一九九六年六月三〇日に起動した理由とは――。
「超自然的な訪問者は、霧の中から現れた、と伝えられております。この地にも、消滅と再生のその時、霧のような雨が降っていたとか」
竪琴が発する音と同じような声で、吟遊詩人トルウは言った。
「必要な条件が全て整い、故意か偶然か、はたまた神々の気まぐれか、この地に悍ましい魔窟が再生されたのであろう。我々は、二度とその再生が成されないように、《再生の車輪》を断ち切ってしまわねばならぬ。そなたの名の元にな、トルウ」
トルウ――確かその名は、トゥアッハ・デ・ダナンの英雄、光り輝く者、と意味されるルーグの、ウェールズでの同族語ではなかっただろうか。そう言えば、以前にも、カフヴァはトルウをウェールズから訪れた者、と言っていた。
輝かしい金髪と、美しい面貌を持つ太陽神、ルーグ――トルウ。
ならば、彼は古の伝説の通りに、邪眼のバラールを倒す、というのか。魔族の長である、その悍ましき魔神を――。彼を祝う祭りである、《ルグナサーの宵》に。
「西に人が」
そう言ったのは、盲目の女魔法使い、グローヌであった。
見れば、西側の雑居ビルの屋上に、小さな人影が立っている。
彼ら三者と同じように、夏の陽差しが照りつける中、汗の一つも滲ませてはいない。
その人影は、魔窟の主、婆婆であった。
陽光の中で見るその面貌には、醜い皺とシミが際立っている。
「あの少年の敵討ちに参られたのか、ミセス.岑?」
白い髭を揺らしてそう訊いたのは、賢者カフヴァであった。
「敵討ち? ああ、輪のことかい。あの厄介者なら、死んでくれた方が嬉しいんだが、生き残っちまったよ」
その言葉に、三者の面が、ハッ、と凍った。
輪もどこかに潜んでいるのではないか、と思ったのかも知れない。
「心配には及ばないよ。当分、動けやしないだろうからね。この婆婆も手を焼く魔物だが、蜃様が帰してくださったのでは、治療してやらん訳にもいかない」
「蜃……。あの精霊のように美しい御方か」
「あたしらは、古代中国の伝説の通り、蜃様と呼んでいるのさ。まだ見たことはないが、あの方の創られる楼は、夢のように美しいと聞く。輪も、その楼を見ることなく、門の入り口で追い返されたようだが――。まあ、あの子を迎え入れては、楼も一昼夜にして血の海と化してしまうだろうがね」
天を仰ぐ婆婆の指先が、何かを弾くように、微かに動いた。
果たして、その指先の動きは、隣のビルの屋上に立つ三者たちの目に、止まったであろうか。
「今日は、何用で我らの元へ参られた?」
賢者カフヴァは訊いた。
「思い上がるのもそれくらいにおし。あたしゃ、あんたらに用などないよ。少なくとも今は、ね」
婆婆がそう言った刹那であった。頭からすっぽりと長衣を纏う三者の首筋から、霧のような血飛沫が噴き出した。――いや、首筋からだけではない。瞬く間に、長衣を染める鮮血は、彼らの全身から噴き出していた。
「な……っ」
「ぐ……う……」
三者の面が驚愕に変わり、体の異変に呻きを零す。
針――その三者を襲ったものは、あの日、婆婆がぼやきながら作った、超極細の針であった。
今、三者の体内に痛みもなく入り込み、全身を巡る血管の中を、組織を破壊しながら、駆け抜けている。
血液は、わずか一分で、人間の体内を一巡するという。たったそれだけの時間で、極細の針は、体中の血管を破壊し尽くしてしまうのだ。
何という恐るべき武器なのであろうか。
賢者カフヴァの面が、真っ赤に染まった。
女魔法使いグローヌの手が、朱珠を弾く。
吟遊詩人トルウの口からは、血が泡となって噴き出していた。
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