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参参
しおりを挟む「九龍城砦に戻るがいい、年若き魔窟の申し子よ……。ここは、まだそなたが訪れるべき場所ではない」
確かに耳から聞こえているはずの言葉であるのに、全身に染み渡るような錯覚を起こす声であった。
「戻れ、ったって……。地図か標識でもあるのかい? どうやって来たかも知らないんだぜ、ぼくは」
「……。思い出すがいい。己がしていたことを。そして、起こったことを」
「思い出すまでもなく、覚えてるさ。ぼくは車に乗って、ナイナイのところへ行こうとしてたんだ。チャイニーズ・マフィアに捕まっちゃっててさ。――見ろよ、この傷。この傷を見りゃ、バカでも思い出すぜ。今は痛くないけど、どんな痛みだったか思い出したくもないくらい痛かったんだ」
「ならば、その傷の痛みを思い出すがいい」
「んー……。訊いてもいいかい?」
赤みがかった瞳を細めて、輪は訊いた。
「私に応えられることならば」
「この驪山陵は、彼の世を支配しようとした始皇帝が、冥界と呼応させて造ったんだったよな。人間としての限界――つまり、死を超越するために」
「……」
「そんな場所にいるあんたは、生きてるのかい? それとも、もう死んでるのかい?」
冥界たる驪山陵にいる美しき青年――。ここが死者の世界へと続く門であるのだとすれば、その青年は、人の言うところの生命を持っているのであろうか。それともすでに向こう側の住人と化しているのだろうか。
「……私はただの保管者。この楼を守ることだけを定めとしている」
「応えになってないぜ」
「ならば、それが応えなのだろう」
応えられないことが、その青年の応え――。
「ハッ。何の楽しみもない奴。ぼくも狂ってると思ってたけど、あんたも相当なもんだぜ」
その言葉に、フッ、と興じるような笑みが零れ落ちた。
その青年も、笑うのだ。普通の人間と同じように。
「あんたの実体を見れるのは、ここだけかい?」
輪は訊いた。
「……さて。――もう行くがいい。戻れる内に」
「だから、どうやって戻れって言うんだよ。ぼくは何も忘れちゃいないぜ。傷の痛みも覚えてるし、自分が何をしていたのかも覚えてる。そのとんでもない痛みを堪えながら、車を運転してたんだ。――いや、ヘロインを打ってたから、痛みはもう消えてたかな。――だけど、呼吸が出来なくて、目が霞んで、気がついたら、ここだよ」
「……その傷で、よく車が運転できたな」
「まだ運転できるかどうかは判らないさ。何しろ、目もほとんど見えなくなって、ビルに車を打付けたんだ。――いや、覚えていないけど、あの衝撃は、絶対、車を打付けた感覚だったな。こう、前のめりになって――」
そこで、輪は、ハタ、と言葉を止めた。
覚えていない、のだ。――いや、たった今それを、思い出した。車をビルの壁に打付け、そのまま意識を失ったのだ。
蜃の表情が、柔らかい形にぼやけている。
「それでいい……。もうしばらくは、ここで逢うこともないだろう……。そなたの名と同じ輪子――《再生の車輪》を見つけた者がいる。早く帰るといい……」
「え? 《再生の車輪》を見つけたって――」
「九龍城砦にいる……」
蜃の姿は、その言葉と共に、薄く消えた。
「おいっ! ちょっと待てよっ。《再生の車輪》を見つけた、って、誰が――。おい、蜃!」
言葉はそれ以上、続かなかった。
蜃の姿も、奇妙な世界も、凄まじい光量に包み込まれ、目が眩むような衝撃と共に、消え失せた。
その後は、どうなったのか、解らない。
気がついた時、輪は、九龍城砦の雑居ビルに突っ込んで止まる車の中に、倒れていた。
「生き返って良かった……って気分じゃ・・・・・ないよな……」
体には、ヘロインの効果もすでになく、気を失いたくなるような痛みが甦っていた。
酷い頭痛と呼吸困難、激しい吐き気も込み上げていた……。
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