魔窟降臨伝【完結】

竹比古

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弐漆

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「実行させてもらったぞ、九龍城砦の住人よ。この魔窟でのやり方を」
 白髭を蓄える青い瞳の老人、賢者カフヴァは、チンピラに連れられて行く輪の姿を見送りながら、雑居ビルの屋上で呟いた。
 傍らには、盲目の女魔法使いドルイダスグローヌと、呪歌を操る金髪の吟遊詩人トルウがいる。
 背後から輪を襲ったのも、もちろん、彼ら三人であった。実際に銃弾を撃ち込み、輪を仕留めたのは、黒社会の連中ではあるが。
「今一人、厄介な鍼灸師が残っております」
 盲目の女魔法使いドルイダス、グローヌが言った。
「万物の名を知り、それを利用できる魔法使いドルイドの敵ではない。相手の武器と、攻撃方法が解っているのなら、な」
「しかし、このまま私の呪歌で、九龍城砦ごと消滅させてしまった方が良いのではありませんか?」
 金髪の吟遊詩人、トルウが言った。
 彼の呪歌は、数百に昇るビル群さえ、分解してしまう力があるのだ。
「《再生の車輪》が見つかっていない今、この区域を消滅させたところで、元の建物は再生されぬ。それどころか、再びこの九龍城砦が甦ってしまう危険性すらある。全ては《再生の車輪》の如何にかかっておるのだ」
「……その《再生の車輪》の力を引き出し、この九龍城砦を呼び出したのは、一体、誰なのでしょうか」
「解らぬ。あの二人ではなさそうだが……」
 九龍城砦で作動している《再生の車輪》――それはどこにある、というのだろうか。 そして、その車輪を始動させた人物とは……。




 その頃、婆婆は、売春窟の一室――木のドアのついた婆婆専用の一室で、自らの指先を恍惚と眺め、その出来栄えの美しさに感嘆していた。
「いい出来だねぇ……。我ながら惚れ惚れするよ」
 と、何かを摘まむように合わせた親指と人差し指を、色々な角度に動かしている。
 醜い、としか思えない、皺とシミだらけの指である。爪垢は溜まっていないが、とても惚れ惚れするような指では、ない。
 目の前のテーブルの上には、刃物を研ぐための砥石や、極薄刃のやすりがあった。
「年を取ると、こういう作業も面倒になるねぇ」
 などと言いながら、摘まみ合わせるようにしている親指と人差し指を、テーブルの上に広げてある一枚の紙の上に乗せ、そこで、摘まんでいるものを離すように、指を開いた。
 何も知らない人間が、その光景を見ていたとすれば、婆婆もついにボケが始まったか、と喜び勇んで――いや、悲嘆に暮れたことだろう。
 だが、残念なことに――いや、幸いなことに、ボケが始まった訳ではない。
 その紙の上に乗っているものを、よく見てみるがいい。肉眼では、かなり近づかなければ――それも、注意してよく目を凝らさなければ見えないほどの細く透き通るような針が、見事な様で乗っているではないか。
 長さは、普通の鍼灸用の針と、そう変わりがないだろう。といっても、種類は色々とあるが、長いものから、短いものまで、何でも一通り揃っている。
 そんな不可視の極細の針を、その年老いた婆婆が作った、というのだから、感服するしかない。普通なら、針に糸を通すことも危うい年頃である。それでいて、糸よりも遥かに細い針を作ったのだ。
 目も体も衰えるどころか、年老いて尚、活性化しているのである、この婆婆。
 九龍城砦の住人は、まだ数年――いや、数十年、この婆婆の姿を見続けることになるだろう。
 この魔窟の主として。
 ひょっとしたら、この婆婆に限っては、死ぬこともないのかも知れない。
 ここは、どんなことが起こっても不思議ではない東洋最大で最後のカスバなのだ。
「どれ、一つ試してみようかね」
 婆婆はそう言って、テーブルの下のボタンを押し、見張りの男を呼び付けた。
「女を一人、連れておいで」
 と、姿を見せた男に言い付け、ニヤリ、と笑う。
 不気味な姿である。
 だが、この婆婆は、自分の売春窟の女を使って試そうというのか。いつもはケチくさく、商品には絶対に手を出すな、と子供たちの精液までケチっているというのに。


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