魔窟降臨伝【完結】

竹比古

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弐拾

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「さあね。あたしにゃあ、住むところが出来て、万々歳だったね」
 婆婆は言った。
「香港政庁が、代わりの住居を手配してくれたはずだが」
「ハッ。ここでの商売を失くして、どうやって生活していけ、と言うんだい。あたしみたいな年寄りも、娼婦も、犯罪者も、ここが失くなったら、食っていけないのさ。――さっさとあんたらの用件をお言い。この婆婆が聞いてやっている内に」
 飽くまでも高飛車な物言いである。
 話し合いの場であるはずなのに、戦の庭のような雰囲気を感じさせるのは、果たして、婆婆のその態度のためだけ、であっただろうか。
 彼らの戦いは、ドアを開けた時から――いや、ノックが届いた時から始まっている――そんな気がしないか。
 表情には何も映っていないが――少なくとも婆婆は、普段通りの干からびた面貌をしてはいるが、そんな気が、した。
「我らは輪廻を司る《再生の車輪》を求めて来た者」
 賢者カフヴァが、ゆうるりと言った。
「ほう。それが、この九龍城砦を呼び出したものかい?」
「かも知れぬし、そうではないかも知れぬ」
 はっきりとしない言葉である。賢者カフヴァはそう言い、傍らの女魔法使いドルイダスへと視線を向けた。
「グローヌ」
「はい、お師匠様」
 呼びかけを受け取り、グローヌが琥珀色の瞳を、静かに閉じる。
「私は目が見えませぬ故、神々がお哀れみくださったのか、多少の遠見が適います」
 と、瞳を閉じたままで、口を開く。
 だが、彼女の振る舞いや、透き通るようなその美しい瞳を見て、彼女が盲目である、と誰が気づくだろうか。この部屋へ入って来る時も、彼女は人の手になど頼らず、自分一人で歩いて来たのだ。椅子に腰掛けた時も、また然り。目が不自由である、などということは、微塵も感じさせない動きであった。
 だが、婆婆は別に驚くでもなく、黙って椅子の背に凭れている。
 気づいていたのだろうか、この婆婆は。
「私の視た世界は、人間の時間の限界を超越します。の地を訪れて戻って来た者は、物質的世界に触れた途端、時間のツケを支払うことになりましょう」
 どこかで聞いたような言葉であった。ごく最近、幻のように美しい青年の口から。
 しかし、その言葉の意味するところは。
「似たような話はいくらでもあるね。海の底の竜宮城に行って戻って来た者が、そこでは三日しか過ごしていないのに、地上ではその何十倍、或いは何百倍もの時間が流れていたという――。その男は、玉手箱という土産を開けた途端、その時間のツケを払わされたそうだが」
 解っているのだ、婆婆は。その思わせ振りな言葉の意味が。
「私たちの故郷にも――いえ、世界各国に、それは様々な伝えとして残っています。その地は、時間だけでなく、全ての空間的な定義をも超越し、地下に、或いは海の底に、もしかすると、現実の世界と同じ広がりの上にあるかも知れません。突然現れたり、消えたりする家か、宮殿か、或いは、そこの人々が住む広く変化に富んだ世界を包む、草に覆われた小さな丘であるかも知れません。そこは、洞窟を通ったり、湖の中を抜けたり、魔法の霧の中を抜けたり……或いは単純に、突然の洞察を開くことで、行ける世界かも知れません。――ここは、そういう世界から呼び出された異郷なのです。そして、時間と空間の辻褄を合わせるために、元あった建造物が消されてしまいました。私たちは、それを修復するために、ここを訪れたのです」
 真摯な口調で、グローヌは言った。
「そうかい。生憎、あんたらの力になれるような知識は持っちゃいないね」
 愛想を加えるでもなく、婆婆は言った。
「あの方も――精霊シイの如き御方も、あなたの御力を借りるのは無理だろう、とおっしゃっていました。――ですが、この地が誤った再生の地であることは確かです。この世界、消してしまわねばなりません。《再生の車輪》は、この地で廻るべきものではないのです」
「なら、あたしの処へ来たのは正解だよ」
 言うなり、婆婆は、足元の床を、タン、と鳴らした。
 同時に、銀色の細い光が、床の上から跳ね上がる。それは、確かに、跳ね上がる、という動きであったはずなのに、目にも止まらぬスピードで、三者の元へと襲い掛かった。
 針――鋭く長い、針である。
 床に仕掛けられていたその針は、婆婆が床を鳴らすのと同時に跳ね上がり、まるで、自らの意志でも持っているかのように、一斉に三者めがけて飛び掛かったのだ。



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