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拾弐
しおりを挟むドアの代わりに、薄汚れた布だけを入り口に掛けた部屋が、壁に沿って並んでいる。
そこは、九龍城砦に存在する、売春窟、の一つであった。
男たちの汗と精液の入り交じった匂いが、漂っている。
異様なその匂いは、形容し難いシミとなって、壁や床に染み込んでいた。
部屋の中には、簡素なベッドと、淀んだ空気だけが存在している。お世辞にも清潔とは呼べないその部屋で、女や子供が客を取り、畜生以下の屈辱を受けているのだ。
男たちは皆、醜い欲望だけを漲らせて、快楽を放ちにやって来る。女を貪り、子供を犯し、昼となく、夜となく、淫らな肉欲をさらけ出す。
女の悲鳴、啼き声、悦楽の声。
子供の叫び、涙、容赦しを乞う声。
ここには、そんなものが溢れている。
「どこへ行く積もりなんだい、輪?」
布の掛かる入り口とは違い、一応、木の扉のついている部屋の中から、嗄れた声が、耳に届いた。雑居ビルの通路を巡り、行き着く奈落のような場所である。
中から、その美しい少年の姿は見えていないはずなのに、その声は迷いもなく、名前を呼んだ。
部屋から顔を見せたのは、嗄れた声に相応しい、老婆であった。
「あれ、ここにいたのか。今日は鍼灸院の方にいると思ってたのに」
薄気味悪い婆婆を前に、美貌の少年、輪は、悪戯を見つけられた子供のように、一応、驚いてから、そう言った。
「今から行くところだよ。あたしの留守を狙って何をする積もりだい?」
不気味な目玉が、ぎろり、っと動いた。
「別に。自分の寝床に戻って来ただけさ。最近、黒社会の連中が血眼になってぼくを捜してるみたいだし――。一々相手をするのも面倒だから、ここで昼寝でもしてよーかな、って思って」
その輪の言葉にも、婆婆はまだ疑い深げである。
ふんっ、と一つ鼻を鳴らし、
「商品に手を出すんじゃないよ」
と、ぶっきらぼうに言って、叩きつけるように、ドアを閉める。
「ほとんど妖怪だな」
その呟きは、果たして婆婆に届いたかどうか。輪は肩を竦めて、奥へと向かった。
廊下の両側に並ぶ部屋からは、まだ昼間だというのに、相変わらず欲望の声が上がっている。
その廊下の隅には、見張りの男が立っていた。逃げ出す者がいないよう、常時、交替で見張っているのだ。婆婆が雇った男たちである。
「久しぶりだな。毎日こんな声を聞いてたんじゃあ、商品に手を出したくなるんじゃないのかい?」
輪は、その男を見上げて、声を掛けた。
「ま、まさか……っ。そんなことをしたら、ナイナイに串刺しにされますから」
男は慌てて、首を振った。
必要以上に蒼冷めているのは、今、目の前にしている、美しい少年のせいであっただろうか。
「ふーん。溜まってんなら、ぼくが抜いてやろうか?」
「い、いえ――っ。そんな、滅相もないっ」
「女や子供の啼き声を聞くのが好きなんだろ? ぼくだってそうだ……。人が痛みに鳴き、苦しんでいる姿を見ると、たまらなく体が熱くなる。興奮して、ナイフを肌に滑らせ、赤く滲む血や、糸を引く涎を見たくなる……。もっとも、ぼくの場合、女や子供より、薄汚い男が悶え苦しむ様を見る方が好きなんだけど――。あんたみたいな」
「ル、輪様、私は――っ」
「ぼくの体を撫で回したいだろ……? 皆、そうだ。汚いペニスをぼくに銜えさせ、ぼくのケツに突っ込みたがる……。だからぼくは、そのペニスを咬みちぎってやったんだ。まだ九つの時の話だけどね。今でもペニスを切り刻むのは、一番、好きなんだ」
男の顔は、今にも気絶しそうなほどに、真っ蒼なものに変わっていた。額には珠のような汗が浮かび、顔はヒクヒクと引きつっている。
「触らせてやろうか、ぼくのペニスに?」
「い、いえ……っ」
「遠慮することはないんだぜ。ぼくのペニスを舐めて、喘がせたいと思うだろ? ぼくのケツに突っ込んで、悲鳴を上げさせてみたいと……」
「お、お容赦ください、輪様――っ。私にはとても……っ」
男は地べたに両手をついて、頭を下げた。
わずか十七、八歳の少年を前に、深々と頭を下げたのだ。そして、それを恥だとも思っていない。
それは、最も賢明な判断であっただろう。
「つまんない奴」
輪は、プイ、とそっぽを向き、奥の階段を上り始めた。
罅と埃だらけの老朽化したコンクリートの階段は、彼に踏まれることを、何よりの至福にしていたに違いない。
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