魔窟降臨伝【完結】

竹比古

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拾壱

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「さっきのあいつの言葉の意味、何のことだか解ったのかい、ナイナイ?」
 蜃の消えた空間を振り返ることもせず、家路を辿りながら、輪は訊いた。
「蜃様は永遠に近い生命を持たれる、人外の御方。知識も深かろうて」
「正真正銘の化け物、って訳か」
「なんの。この九龍城砦ばかりは、蜃様の力を持ってしてもどうにもなるまい。ここは何人なんびとの支配も受けぬ魔窟。それが所以の再生じゃて」
「なら、次に逢った時は、切り刻んでもいい訳だな。どんな血が流れるのか、楽しみだ……」

 一方は、この魔窟が何であるのかを調べるために。
 もう一方は、この魔窟が何であっても守るために。
 今、この夏の夜を境に、動き出そうと、している……。


 二週間前、忽然と現れた九龍城砦への対処と戸惑いに、香港当局は朝から晩まで駆けずり回り、中英間の問題も含めて、事態の収拾に追われていた。
 特に、香港警察は、この異常な事態を物珍しげに見物に来るヤジ馬や、各国からの観光客の整理に追われ、増加する犯罪件数と共に、とても対処が追いつかない状態になっていた。
 もとより、危険に立ち向かおうとする正義感の強い者も少なかったのだ。危険を避けたい者は形だけの巡回をし、九龍城砦は事実上、野放しの状態になっていた。特に、堂口マフィアと通じている警察上層部は、そこで起こる犯罪を取り締まろうとはしなかった。
 九龍城の区議会議員も、毎日、分刻みで政庁への伝達を続け、その説明の仕方に頭を抱え、香港の機関は全てパニックに陥っていた。
 そんな中で、唯一変わらず日々の営みを続けていたのが、九龍城砦の住人である。
 彼らは観光客にドラッグを売り、女子供を売り、武器を売り、金品を巻き上げ、レイプし、誘拐し、売り飛ばし、殺し……以前以上の無秩序な姿を見せつけていた。
 チャイニーズ・マフィアも、また然り。
 いくつもの堂口が利権を巡っていがみ合い、観光客を巻き込んでの市街戦を、毎日のように繰り広げていた。ストリップ小屋、阿片窟、売春窟、賭博窟……競い合うように悪の温床を活気づけ、堂口の資金源を潤していたのだ。
 最早、誰の手にも負えないほどに、九龍城砦は、取り壊し前以上の魔窟と化していた。
 再び取り壊すにしても、どこがその費用を出すのか。
 調査は順調に進んでいるのか。
 何故、このような奇怪な現象が生じたのか。
 お役所仕事は、九龍城砦の住人やマフィアたちの動きとは比較にならないほどに、愚鈍でお粗末なものであった。
「まだ捕まえられんだと? おまえたちも役人と同じか!」
 香港の高級住宅街、九龍塘カオルントウに聳え立つ屋敷の一室で、男は、居並ぶ部下たちを怒鳴りつけた。
 界限街バウンダリーストリートの北側に広がるここ、九龍塘は、反対側の東南方向に広がる九龍城とは雲泥の差で存在する富の集結地であり、貧富の差の激しい香港を要約するような、区域であった。
 ここには、香港らしからぬ平静な街並が存在し、塀の高い立派な屋敷も、教会も、名門私立校も、会員制テニス・クラブも……人々が焦がれて止まないものが、何でも一通り揃っている。
 男の屋敷も、そんな九龍塘の一角にあった。 
 羅亜忝ローヤーテイエン――。客家ハッカ系政治結社、洪門会の末裔を語るチャイニーズ・マフィア、黒社会の首領ドンである。
 といっても、反清復明――清朝を倒し、明朝を再興させる――という十七世紀中葉の政治性や、客家ハッカの民族性は、最早、備えてはおらず、今ではただの犯罪組織と化している。
 そして、彼らもまた、九龍城砦に悪の手を伸ばしている堂口の一つであった。
 客家ハッカ系堂口は元々、当局の手が入っても一網打尽にされないよう、さまざまな名称の会に分かれており、他にもさまざまな名称を持つ堂口が九龍城砦に触手を伸ばし、活動しているが、その中でも、彼らは、最も犯罪性の高い、残虐な暴力集団であった。
 その彼らが今、血眼になって探しているのが、たった一人の少年である。
 赤みがかった髪と瞳を持つ、壮絶な美貌の少年――。
 その少年の手にかかって殺されたと思える堂口の構成員が、九龍城砦の取り壊し以前から数えて、すでに数十人に昇っている。この二週間でも、被害者はさらに増えているのだ。
 最初は、対抗組織の人間の仕業かと思っていた失踪事件も、つい昨日、その少年が容疑者であると判明し、今、懸命に行方を追っているところであった。
「し、しかし、何だか気味が悪くて……。《城内》の奴らにその少年のことを尋ねると、決まって、人を哀れむような目付きで、オレたちを見上げて……」
「この期に及んで言い訳か?」
「い、いえっ、そのような積もりは――。全力で捜してはおりますが、彼所は迷路のように入り組んでいて、中々……」
 東洋最大で、最後のカスバ、九龍城砦――地元の者でさえ、入り込んだら戻って来れない、と実しやかに謳われた魔窟。
 警察権力でさえ容易に立ち入れず、その警察権力を手中に収めている組織の人間でさえ、命の保証など、あり得ない。
「九龍城砦の不気味さなど、今に始まったことではないわ。草の根を分けても捜し出せ!」
「は、はっ」
 中英間の管轄権の真空を、そのまま表すような、東洋と西洋の血を持つ美しい少年――。
《城外》の人間が、彼の恐ろしさを理解するのも、そう先のことではないだろう……。


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