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番外編 オックスフォード編
オックスフォード 13
しおりを挟むエリックだけでなく、ローレンスもその夜は泊まり、香港から訪れた菁はもちろん、アンドルゥもクリスマス休暇で家にいて、賑やかなパーティが終わってからも、ウォリック伯爵邸は、途切れることのない話し声に包まれていた。
深夜になっても誰もがサロンから立ち去らず、暖炉の前で、階を中心に聖夜の静けさを遠ざけていたのだ。
「さあて、どうやっておびき出すかなァ」
菁が言うと、
「おびき出すって、それじゃあ階が――」
エリックは目を瞠って、声を上げた。
「いいよ、エリック。それしか方法もないし、ぼくは、菁がいるから大丈夫だし」
「……」
――菁がいるから……。
アンドルゥにしても、菁にしても、まだ青いエリックやローレンスが張り合うには、余りにもハードルの高過ぎる人物なのだ。
何より、階自身が、その二人がいることに安堵している。
「そうだよなァ。いっそ私と結婚でもするか? そうすれば、誰も君に手を出したりはしなくなる」
そう言って、菁が、階の座る一人掛けのソファの肘掛に腰を下ろし、身を屈めるようにして、白い頬に口づける。
もちろん、挨拶と同じキスだったのだが――。
階が咄嗟に身を強ばらせ、そこにいる誰もが、その不自然さに気付いてしまった。
「何なんだ、その反応は? こんなところで押し倒されるとでも思ったのか?」
その菁の軽口にも何も言えないようで――もちろん、ローレンスやエリックも何も言えず……助け船を出したのは、アンドルゥだった。
「こんな時間に挨拶以外のキスをするな。――今日はお開きだ」
そういうと、エリックの方へと視線を向け、わずかに顎を動かして、部屋に来い、と無言で言った。
「クソっ、また俺かよ……」
口の中で悪態づき、エリックは渋々腰を上げた。
「じゃ、俺も寝るから」
と、アンドルゥに続いて、サロンを出る。
そして、残りもそれぞれに立ち上がり、イヴの夜は静かになった……。
部屋に戻って少しすると、遠慮がちなノックが届いた。
――さっき、皆と別れたばかりだというのに、誰だろうか。
階は少し首を傾げ、ドアの方へと踏み出した。
ノックの主は何も言わず、階が、彫刻の施されたノブに手をかけると、
「開けなくていい。こんな時間なんだから」
と、それを察する声が届いた。
「……ラリー?」
ドアの向こう側から聞こえたのは、聞き慣れたローレンスの声だった。そして、
「パーティでは、悪かった」
あの、恋人同士のようなキスを謝っているのだろう。触れ合うだけのキスでなかったことを、わざわざ――。いや、階の態度が、そうさせたのだ。
「違う、ラリー! あれは、ぼくが――。ぼくが一度、ラリーに許したくせに……それなのに……」
恋はまるで両刃の剣のように、互いの心を同じように傷つけてしまう。拒まれたローレンスだけではなく、拒んだ階の心も、また……。
「違う。僕が順番を間違えたんだ」
ローレンスが言った。
「順番……?」
「ああ。君は、体を許す意味さえ、知らなかったのに」
「ぼくが、無知で……傷つけた……」
「違う。愛し合っただけだ」
「愛し……合った……?」
ただ、一途な心で、愛し合った、だけ……。
「まず、君を迎えに行くよ。――いや、君が卒業したら、誰よりも先に君を奪いに行く。もう誰にも君を渡さないし、君が選ぶのを待つこともしない」
強引なでありながら、優しさを込める言葉だった。
「……そういえば、イートンの頃は、いつも強引だった」
「怖いものなしの十代だったからな」
ドアの向こうの声が、少し、笑った。
そう。失って怖いものなど、一つもなかったのだ。――いや、たった、一つ……。
「なんか、懐かしい……」
階も過去を見るように、笑みを零した。
さっきより少し、距離が縮まったような気がしていた。何も知らなかった昔を思い出したせい、だっただろうか。
ドアの内側と外側で、同じ思いが溢れているような気がしていた。
もう、これからは、不自然な距離を取らなくて済む――そんな安堵も籠っていた。
――君が卒業したら、誰よりも先に君を奪いに行く。
沈んでいた心が、軽く浮かび上がって行くのも、感じていた。
「じゃあ、それだけだから。――おやすみ」
ドアに、キスが触れる気配を感じた。
やっと、クリスマスらしい気分、だった。
ドアから離れて振り返ると、そこには、バスの支度をして出て来た桂が立っていた。
いつからそこに立っていたのかは判らないが、きっと、二人の話を聞いていただろう。そんな表情だった。
「ぼくは……ラリーが好きなのかな? それとも、ラリーが強引にぼくを奪ってくれたら、自分で決めなくてもいいから、楽なのかな?」
自分の気持ちさえ解らない中、階は呟くように言葉を落とした。
「いいことがあったのなら、素直にお喜びになればいいのです。理由を決めつける必要はありません」
「でも、ぼくはまだ、アンディにも、エリックにも、アールにも、ラリーとのことを話せてなくて……。話したら、きっと……」
「ご自分でなさったことでしょう?」
「……」
「そのことがなかったら、あなたは誰を選ぶというのですか?」
「え……?」
――ラリーとのことがなかったら、誰を……?
「そんな……こと……」
「恋は考えてするものではありません。――さあ、バスの支度が出来ています。そんなことよりも今は、差し迫った問題があるのですから」
「……うん」
それでも、つい、考えてしまう。
――ぼくは一体、誰のことが好きなのだろうか……。
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