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番外編 司編
司編 16
しおりを挟む少し早く、着き過ぎてしまった。
アレックス・ソアーは、ウォリック伯爵邸の車寄せでキーを預け、
「少し時間を潰して来る」
と、迎えに出て来た執事に告げて、庭の方へと歩き出した。
そう何度も来たことがある訳ではないが、クリスがいた頃は、クリスマスには父に連れられて訪れていた。
十歳も年の離れたグレヴィル家の長子であるクリストファーは、優しく聡明で、誰からも好かれる、敬愛できる存在だった。もう一人のグレヴィル家の兄たる短気なグレアムや、無愛想で可愛げのない弟、アンドルゥに比べて、このグレヴィル家の中では、付き合いやすい兄弟だったのだ。
そんなこともあって、クリスが死んでからは、この屋敷に足を運ぶこともなくなっていた。――というのに、突然のウォリック伯からの呼び出し……。
「もうここには、アンドルゥしかいなかったよなァ……」
自分をグレヴィル家に引き取りたいのだろうか――アレックスはそんなことを考えながら、手入れされた庭を、バラ園の方へと進んでいた。
クリスが死に、グレアムが勘当されて家を出てから、ウォリック伯爵家には、アンドルゥの他に後継ぎはいない。クリスの子がいるらしいが、それはまだほんの小さな幼子だろう。
それに比べて、ソアー家には息子が三人いるだけでなく、長子のウィリアムにはすでに二人の子供――ウォリック伯から見れば、孫がいる。
アーサー・ソアーの末子のアレックスを伯爵家に、と思っても不思議ではないだろう。
アンドルゥが残っているとはいっても、あの性格ではかなり扱いづらいだろうし、確か、オックスフォードの経営経済学部を卒業してから、また、医学部に入り直した、と聞いている。それも、ウォリック伯の反対を押し切って……。
「あいつ、爵位継承権を捨てたのかな……」
夏のバラは、春咲きのものに比べて、色の薄い品種が植えられ、この暑さの中、涼しげな印象さえ与えていた。
そのブリティッシュ・ガーデンの中――アーチを形作る蔓バラの木陰に、白いベンチに横たわるようにして、眠る人影が目についた。
――アンドルゥだろうか。
華奢な手足が、何年か前に会った時のアンドルゥの姿と重なって、アレックスはその人影の方へと足を向けた。
だが――。
濃い陰を落とすアーチのベンチで、気持ち良さそうに眠っているのは、サラサラとした黒髪の、小柄で華奢な少年だった。
東洋人――。そう思った時、クリスの結婚相手が、日本の財閥の御曹司で、まだ十代の少年であったことを思い出していた。――いや、今はあれから随分、経つのだから、まだ十代ではあり得ないが、そこに横たわる少年は、二十歳前後――いや、それより幼いと言われても、信じることが出来た。
「……アンディ?」
アレックスの気配に目を覚ましたのか、その黒髪の少年は、少し眠たげに口を開いた。そして、
「――もうウォリック伯の客人が見える時間だっけ?」
と、体を起こし、そこにいるのがアンドルゥでないと気がつくと、途端に訝しげに眉を寄せた。
驚くほどにきれいに整った顔立ちだった。きめ細かい肌も、細いうなじも、東洋の神秘を見るように、惹き込まれそうな魅惑を湛えていた。
「あ、えーと、アンドルゥじゃなく、客の方だけど……。んー、客かなァ。まあ、招ばれたんだから、客か」
アレックスは、わけの解らないことを呟きながら、取り敢えず、自分の立場を口にした。
「どうも失礼を……」
黒い瞳が、関心もなさそうに、それだけを言う。そこへ――。
「――司様!」
と、また別の東洋人が姿を見せた。混血なのか、髪も瞳も、色素が薄い。
「もうそろそろ着替えを――」
と言いかけて、
「こちらは……?」
と、アレックスの方へと視線を向ける。
「客だって」
ベンチから腰を上げて、司は言った。
「は……あの――」
「すぐに紹介されるんだから、その時、聞けばいい。着替えなきゃいけないんだろ? 草も泥もそんなについてないけど」
そう言って、司は屋敷の方へと足を向けた。
「はい……。失礼します」
桂も、アレックスに頭を下げ、後に続いて、屋敷へ向かう。
後に取り残されたアレックスは、といえば、
「アンドルゥといい、あの日本人といい、やっぱり、この家の人間は苦手だ……」
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