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番外編 十六夜過去編
十六夜過去編 3
しおりを挟む今から一五〇年前、Y染色体を持たない女だけが新種の皮膚癌に侵され、地球上から絶滅した。学者たちは、慌ててその癌の原因を探り、それが有害宇宙線と、人間の作り出した突然変異誘発物質によって引き起こされたDNA障害であることが判った。そして、女たちを有害宇宙線の届かない安全な場所に隔離したが、その新種の癌は恐ろしい速さで転移し、遺伝子治療も追いつかないまま、女は地球上から絶滅した。一度浴びた有害宇宙線は、地下や屋内に潜ってからも、その進行スピードを落とさず、女の体を破壊したのだ。まだ一度も外へ出たことのない赤ん坊さえ、母親から受け継いだ異常遺伝子のために、癌を発症して、呆気なく死んだ。
そして、この世は、染色体〈XY〉の男だけの世界となり、染色体〈XX〉の女は存在しなくなった。
もちろん、女の姿形をした者は、いる。それは、女が絶滅したから、といって現れた特種な者ではなく、女がいた頃から存在していた性転換した男たちであった。彼らはトルソーと呼ばれ、上流階級では、未だ受け入れられてはいないが、中流階級以下では、そう珍しくもなく受け入れられている。――いや、問題はある。彼らは男としての生殖機能を捨ててしまうため、子供を造ることが出来ないのだ。
だから、女ではなく、トルソー――胴体だけのマネキン人形――という名で呼ばれている。
そして、司の体はそのトルソーのように、男性生殖器を持ってはいなかった。――いや、〈XX〉のように、と言うべきだろうか。
「……ドクター・刄?」
手を止める刄を不思議そうに、司が細い首を少し、傾げた。
「あなたは……。十六夜翁は何を――」
こんなに幼い子供を、トルソーにしたというのだろうか。義務教育を終えるまで、性転換は法律で禁じられている、というのに――。それとも、違法とされている遺伝子操作で、〈XX〉を造り出した、というのだろうか。
今、子供は、全て体外受精になっている。結婚し、子供を作りたいと申し出る二人の生殖細胞を取り出し、培養液の中で分裂させ、その細胞が八個まで増えたところで、互いの胚を四個ずつ取り出し、混合胚を作り、再び培養液に戻すのだ。もちろん、そのままでは、染色体の数が多過ぎるため、キメラになる。
キメラ――。ギリシア神話では、前身を獅子、胴を山羊、そして、大蛇の尾を持ち、口から猛火を吹くという姿で表され、キマイラとも呼ばれている。発生工学では、二種類の生物の胚細胞を混ぜ合わせて発生させた生物を示す。つまり、両親の染色体を半分ずつもらって一つになった子供ではなく、二人分の染色体を一つの体に持つ子供だ。
普通、人間は、一対になった四六本の染色体を持っており、子供は両親の染色体を一組ずつ(二三本ずつ)もらって、同じように、合計、四六本の染色体を持つことになるが、キメラは両親の染色体を二組ずつもらうことになってしまい、合計、九六本の染色体を持つことになるのだが、混合胚を作る時に、染色体の半分を取り除くことは、難しくもない。
言い方を変えれば、その遺伝子操作によって、優れた遺伝子の方を優先して残し、天才児を作り出すことも出来るのだ。もちろん、それは社会倫理を逸脱した遺伝子操作であり、個人の価値に関する考え方の基礎を脅かすものとして、OTA(連邦テクノロジー・アセスメント局)などによって、厳重に取り締まられている。クローンも、戦略兵器に繋がるとして禁止され、婚姻関係を結んだ二人だけが、子供を作ることを許されていた。
もちろん、愛情を持って婚姻を結ぶ者がほとんどではあるが、上流階級、特に政財界ではそうとは限らない。お互いの利益や後継ぎを得るための婚姻がほとんどで、共に暮らす訳でもなく、必要な子供が出来れば、あとはそれぞれの元に子供たちを引き取り、育てることになる。こちらの父、あちらの父、というふうに、別の家庭のようになってしまうのだ。
女が絶滅し、地球が危機に瀕して以来、世界は遺伝子部門の研究に莫大な資金を注ぎ、その発展にあらゆる労力を注いで来た。そのために、他の部門は、この一五〇年間、ほとんど進歩していない。
日本の十六夜グループも、その遺伝子部門で莫大な富を築き上げ、大財閥として君臨するようになった巨大コンツェルンの一つであった。
だが、作り出せるのは〈XY〉の男だけで、染色体〈XX〉の女は、作り出してもすぐにあの癌を発症して死んでしまうため、今ではその製造も禁止されている。
「おとうさまは……。ぼくは……〈XX〉だから、ドクター・刄や、おとうさまの決めた者以外に体をあずけてはいけない、と言われている」
真っ直ぐな瞳で、司は言った。
「〈XX〉……」
彼は本当に、一五〇年前に絶滅した〈XX〉であるというのだろうか。
「おまえが、ドクター・刄じゃないのか?」
弱々しさなど微塵もない、強い意志を秘めた瞳だった。前以て、十六夜秀隆より、刄のことを聞いていたから、その体を隠しもせずに、黙って身を預けていたのだろう。無論、刄は何も聞いてはいなかったが――。いや、
「……十六夜翁も、人が悪い」
刄は、皮肉にも似た苦笑を零し、
「私が、ドクター・刄です、司様。あなたにお仕えするよう、言われています。――体が冷えない内に、バスへ……」
こんな神秘を目の前にする日が来るなど、誰が思っていただろうか。すでにこの地上から絶滅し、誰もが失われたと思っていた、何よりも美しい存在に……。
医者として、その神秘をこの手で育てていける――それは、何にも勝る至福であったに違いない。
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