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XX Ⅰ

XX Ⅰ-10

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「ええ、そう聞いていますよ。もちろん、父もぼくも信じてはいませんでしたが――。何しろ日本人が爵位や肩書に弱いことは、世界周知のことですからね。その爵位を蹴るような真似をするのは、結婚が厭だからだとばかり――ああ、失礼。今のは富を得た成り上がりが爵位を欲しがる、という一般論で、君の兄君がそうだと言っている訳ではないんですよ」
「……。気にしていませんよ。爵位に相応しい生活を維持するために、貴族が各国の資産家との政略結婚を望むのも、珍しくはありませんから」
「――。クックッ……。どうやら、ぼくは余程、嫌われているようだ」
 楽しげに笑って、クリスは言った。
「ご冗談を……。結婚を断りにいらしたのでしょう? もしくは、ぼくから兄に――柊に、あなたとの結婚の意志がないことをはっきりと伝えて欲しい、と頼みに――。お引き受けしますよ。あなたのような高貴な身分の方に、ぼくのような成り上がり財閥の息子は似合わない」
 冷ややかな言葉に、
「フッ」
 と軽い笑みが、零れ落ちた。
「実は、そうなんですよ。ぼくは、まだ誰とも結婚する積もりがなかったもので。君の方から結婚を断ってもらえれば、と思って、それを頼みに来た訳です。何しろ、父はぼくの言葉になど耳を傾けてもくれないもので」
「ぼくから断らなくても、ぼくの体のことを、あなたのお父さまにおっしゃれば、結婚話は消えますよ。ぼくは、あなたが湖でご覧になった通り、男じゃない」
 その言葉に、ドアの前に控える刄の表情が、大きく変わった。それはそうだろう。司は、クリスが司の体のことを知っている、と言ったのだ。刄と、行方不明中の十六夜秀隆しか知らないことを、クリスが知っている、と――。
 もちろん、司の体を見ただけで、司が《本物の女》である、と思う者はいないだろう。それでも、財閥の総帥が性転換した、という噂が広まるだけで、大変な騒ぎになる。性転換した、ということは、子供を作れない、ということでもあるのだ。
 独立して増殖、分化し、固体となることが出来る細胞は、生殖細胞だけに限られているため、性転換してその生殖機能を切除してしまった者は、即、跡継ぎを作れない者として、財閥の後継者としても、政略結婚の対象としても、除外される。そのため、結婚して子供を作ってから性転換するか、精子バンクに精子を預けてから性転換する、という者が、ほとんどだ。精子を預けていれば、跡継ぎに問題はなさそうなものだが、上流階級では、それを嫌う。盗難や悪用があることも含めての懸念である。
 もちろん、司は正真正銘の《女》であり、その方程式には当てはまらないが、それをクリスの前で口にする訳には、いかない。クリスもまた、司が《本物の女》である、とは思ってもいないはずなのだから。
 何より、人は慣れる生き物である。
 命を産み出すことではなく、造り出すことに慣れてしまうと、それが当たり前になってしまう。最初は高額で、誰もが子孫を残すことが困難に思われたその仕組みも、二人目までは国の補助で、わずかな負担で作れるようになり――三人目からは莫大な費用がかかることになっても、金持ちたちはより良い後継者を望むために、惜しげもなく金をかけた。そして、それが自然であるかのように、中流階級以下の若者たちは愛する者の子供を望み、上流階級――地位や財産を持つ者は、それを守るための相手を、選んだ。
 それは上流階級と、中流階級以下のラインが、くっきりと分かれた刹那でもあった。
「お話しがそれだけなら、ぼくはこれで」
 司はもう自分は無関係、とでも言うように席を立った。
 だが、司の体に関することを任されている刄にとって、それは有耶無耶にしておけないことでもあって、
「司様! 今のお話しは――」
 と、足を踏み出す。――が、
「君は何か勘違いしているようだ、ミスター.司。ぼくが湖で見たのは精霊で、その精霊が消えてから、森の中でパーカーを羽織った君に逢った。――ぼくはこれでも紳士でね。人の裸を覗き見するような真似はしない。それとも君は、ぼくが君の裸を覗いていた、という《嘘》を父に告げろ、と言う積もりかい?」
 不敵な眼差しで、クリスは言った。何のつもりかは知らないが、司の体のことは口外しない、と言っているらしい。
「……おかしな人だな、あなたは。ぼくと結婚したくなかったんじゃないのかい?」
 司は訊いた。
「実は、森で君と逢ってから気が変わってね。君との結婚を断ったところで、父は別の結婚相手を用意するだけだろう。そして、その結婚相手は、君以上の魅力は持っていないに違いない。もちろん、ぼくがこれから出逢う相手の中にも、君以上に素晴らしい人はいない。――この屋敷に戻って来るまでの間に、ぼくは君のことをもっと知りたくなった」
「……。ぼくはあなたに興味はない。そして、あなたの興味の対象にされるのも、ごめんだ」
「君を愛している、と言っても?」
 臆面もない言葉だった。

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