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キメラ - 翅
翅の産卵 1
しおりを挟む「パパ――っ!」
ドアの向こうから声と共に姿を見せたのは、愛らしい黒髪の少年、エディだった。その脇には、化粧っ気のない――それでもモデルのようにきれいな女性が立っていた。
「エディ!」
椎名はドナの首元を押さえながら、危険を告げるように声を上げた。
椎名と連絡が取れなくなったら、エディが追いかけて来ることは予期していたが、それは宿泊していたホテルまでで、サンクと共にホテルを移った後は、密かに隠れていてくれることを望んでいた。
だが、子供とは、親の思い通りにはならないものなのだ。
「パパっ!」
「来るな――!」
何しろここでは、エディも被検体になるべき一人――十年前の実験結果の一人なのだから。
だが――。
エディは駆け出し、《ゆりかご》の中へと入って来た。
子供とは、盲目に親を追いかけてしまうものらしい。
――クソっ!
ゲルトルーデの手には、まだメスが握られている。今度はエディがドナの代わりに人質にされてしまうかも知れない。
椎名はドナの首から離せない手と、近づいて来るエディの姿に舌打ちをした。
ゲルトルーデの手が、エディの行く手を塞ぐように持ちあがる――そう思った時――。
「ぐ……っ!」
ゲルトルーデが、何かを詰まらせるような声を上げた。
持ちあがった手は、ちょうど幼子を抱くような形になっている。そして、実際にも、その腕の中には、七、八歳の少女が入り込んでいた。
「……《翅》?」
ゲルトルーデの胸に抱きついているのは、《chimera-翅》だった。
下肢もゲルトルーデの腰に絡めるようにしっかりと組み込み、ドクンドクンと脈打つ鼓動を伝えている。
下肢の狭間に突き出していた輸卵管は、今、ゲルトルーデの柔らかい腹部に挿し込まれていた。
「ひっ……!」
ゲルトルーデの両眼が見開いた。
ドク、ドクっと腰の動きが継続する中、ゲルトルーデの面が恐怖に歪む。
誰もが息を呑み、瞬きもせず、声一つ上げることも適わずに、その光景を見つめていた。
――産卵。
堪え切れなくなった《chimera-翅》が、ゲルトルーデの体に抱きついて、産卵しやすく、栄養も豊富な柔らかい腹部に、自らの輸卵管を突き立てたのだ。ゲルトルーデの体を、卵が成長するための宿主とするために――。
「や、やめ……っ!」
今、まさに、彼女の腹の中に、《chimera-翅》の卵が産みつけられているのだ。寄生バチに巣食われる虫として。
「いやあああああ――――っ!」
《chimera-翅》の体は、ゲルトルーデが抵抗して引き剥がそうとしても、離れなかった。力などあるように見えないのに――いや、力ではなく、ゲルトルーデの手を巧みに受け流すようにしながら、わずかな体の動きで逸らしているのだ。《chimera-翅》から見れば、人間の手足の動きなど、止まって見えるほどに遅いものなのかもしれない。
この《ゆりかご》の中には、少なくとも五人の研究員がいたが、誰も助けに入ろうとはしなかった。
それはそうだろう。
今度は自分が、ゲルトルーデと同じ目に遭うかも知れないのだから。
誰もが息を呑んで、その様子を遠巻きにしていた。
そんな異常な光景の中、
「パパ! 大丈夫、パパ?」
エディが、血まみれの椎名の元に駆け寄って来た。
「ああ。俺が怪我をしている訳じゃない」
この血は椎名のものではなく、ここに倒れるドナが流したものなのだから。
椎名が応えると、エディと同じように椎名の傍らに来ていた女性が、周囲の研究員たちに指示を飛ばした。
「滅菌ガーゼを箱ごと持って来て! 速く!」
そして、椎名に、
「ラッキーね、あなた。ちょうど外科医に出くわすなんて」
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