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キメラ - 翅
ゆりかごの中 3
しおりを挟むゲルトルーデの言葉を合図に、《ゆりかご》が途端に慌ただしくなった。加えて、研究員たちの表情も強ばっている。
初めての実験に緊張は付き物だろうが、それともまた違うような感じがした。もちろん、どこが、と訊かれても、応えることは出来ないのだが……。
意識が戻ってからは、《chimera-翅》とも話をすることが出来ず、向こうには椎名の思考が視えているのかも知れないが、椎名には全く解らないままで。これからどうすればいいのかさえ解らなかった。
四肢を拘束するベルトは頑丈で、外したり引き千切ったりするのは無理なようで――。
そう考えていると、バタバタと慌ただしい動きの中に、白衣を身に付けた一人が近づいて来て、椎名の拘束具を外し始めた。
「ドナ……?」
「黙って」
短く制止すると、次々に四肢の枷を解いて行く。
「逃げて、早く。殺されるわ」
また、低い声で、ドナが言った。
「君は――。いや、いつも頼りっぱなしだ。すまない……」
恐らく初めて、椎名はドナの心について考えていた。
十年前、彼女の気持ちを充分知りながら、関心のない態度を取って来たことも――いや、実際に関心が持てなかったことも、そんな自分を憐れんでいたことも、今思えば、何という甘えだったのだろうか。
椎名は自分を憐れむことで、全てを正当化して逃げていたのだ。
もし、許されるのなら――。
彼女がそれでも椎名を必要としてくれるのなら、今度は彼女も一緒に、あの家で……。
「取り敢えず、まず君を逃がす」
椎名はドナの腕を強く掴み、その茶色い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私は、あなたをゲルトルーデに売っ――」
「行こう。少なくとも《翅》は殺されない。また機会がある」
そう。《翅》の中に椎名のDNAがあることで、椎名は無意識下なら、《翅》と話をすることが出来る。ここを出ても、連絡が取れるはずなのだから。
だが、椎名が寝台に身を起こした時――、
「そうはいかないわ」
ドナの反対側の手が引かれ、喉元に医療用の鋭いメスが突き付けられた。
ゲルトルーデである。
「男を売る女は信用できないのよ。こうして簡単に心変わりをしてしまうから」
こうなることを予測していたように、唇の端を持ち上げる。
「やめて、ゲルトルーデ……。こんなことをして、リョウの怒りがあなたへ向いたら、《翅》はまたその感情を増幅させるわ」
「――」
ドナの言葉に、ゲルトルーデが少し怯んだように見えた。
「あなたも気付いているんでしょう? あれは《翅》がしていることだって――。私もリョウから訊いて、確信したわ」
続く言葉に、ゲルトルーデはますます怯むかに思えたが、クスリ、と楽しそうに笑みを零すと、
「産卵期の雌に、そんな心の余裕があるかしら? ――連れて来なさい」
と、ドアの方を振り返りもせずに、声をかける。
「はっ」
三人の研究員が、水槽から出された《chimera-翅》を車椅子に乗せて運び込む。
それは、椎名が意識のない時に夢で見た、幼い妖精のような子供だった。
薄く緑がかった白い肌は、羽化したばかりの蝉のようで、蜻蛉のような翅脈を持つ翅を持っている。こうして近くで見ると、それはやはり翅というよりも、鰭といった方が近いもののような質感だった。
それでも、水中を舞うあの姿を思うと、翅と呼ぶ方が相応しいのだろう。
白金の髪はまだ湿りを残し、髪先に雫を留めている。
空気中での負荷に慣れていないのか、それとも産卵の苦しみによるものなのか、自力で歩いていない以上、ゲルトルーデが言ったように、今、誰かの脳に同期するような余裕はないのかも知れない。
そして、明らかに夢の中と違うものが、その少女にはあった。
背筋が寒くなるような、信じられない現実が……。
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