氷魚を飼う水槽 §社会倫理を逸脱した遺伝子実験は……§【完結】

竹比古

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キメラ - 翅

キメラの翅 1

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「――名前はあるのか?」
 あのまま終わってはいなかった違法な遺伝子実験に、椎名は憤りを抑えながら、そう訊いた。
 予期していたことではあったが、彼処はこの十年間で何一つ変わってはいない。
 所長の首が挿げ替えられただけで、本当に、何も……。
「え……? 名前?」
 金髪碧眼の、エディにそっくりな少年は、少し戸惑っている様子だったが、
「ないのなら――」
 先回りして椎名が言おうとすると、
「サンク……」
サンク?」
「それ、名前じゃない? みんな、ぼくを呼ぶとき、そう呼んでた。それ以外は知らない」
「……。そうか」
 二度目ではもう驚きもしない。――いや、『あのエディ』はそんなナンバーさえもらってはいなかったのだから、今の所長に代わってからの呼び名なのかも知れない。
「取り敢えず、ホテルに行こう」
 カナダで待っているエディにも連絡をしておかなくてはならない。
 そして、この少年――サンクからも話を聞いておかなくては――。
 ドナには告げなかったが、ユニオン・スクエアから半ブロック行ったダウンタウンの中心地に、椎名はホテルをとっていた。
 わずか1ヘクタールのユニオン・スクエアには、観光客はもちろん、老若男女、ビジネスマンから浮浪者まで、様々な人々が過ごしている。
 そこにほど近いサー・フランシス・ドレイクの一室に入り、椎名は取り敢えず自分の着替えの一枚を、サンクに渡した。
 出会いもこんな成り行きも、十年前のあの日に重なることばかりである。
「ミスター・シーナ……」
 ぶかぶかのカッターシャツと裾の長いずり落ちそうなズボンを履きながら、困ったようにサンクが言った。
 そんな姿も、十年前のあのエディの姿にそっくりで――いや、彼のコピーなのだから、当然かも知れないが。
「シーナで構わない」
 シャツの袖と、ズボンの裾を折りながら、
「JNT――君がいた研究施設でのことを話してくれるか? 何かがあって逃げて来たんだろう?」
 椎名は訊いた。
 サンクは少し言葉に困っているようだったが、それは「話したくない」という意味ではないらしく、「何を話していいのか戸惑っている」という雰囲気で……。
「最近、何か騒ぎが起こっていないか? 研究員同士で喧嘩があったりとか、人が死んだりとか――」
 椎名が問うと、
「……人が死ぬのを見た。殴られてた。ペンで何度も刺された人もいた」
 その時の恐怖を思い出すように、サンクは言った。
 だが、それは研究員の突然の凶行に怯えている、というよりも、もっと別のものに怯えているようにも見えた。
 何よりそれは、エディの夢を裏付けるものでもあったのだ。――いや、もう一つ訊いておかなくてはならないことがある。あの研究施設で行われている、社会倫理を逸脱した遺伝子実験のことを――。
「翅が生えた人間――生物を見たことはあるか?」
 椎名は訊いた。
「翅……。みんな、そう呼んでる。Chimeraとか、翅とか。あの子のこと……」
 やはり、それもエディの夢の通りだった。
 翅の生えた生物が、彼処で創られていることは間違いない。
「キメラ――翅……」
 エディはその生物が、人間の負の感情を増幅させているようだ、とも言っていた。
 だが、そんな危険な力を持つ生物を発生させて、彼らは何の危機も感じていないのだろうか。
「何故そんな生物を創っているんだ? その生物は君のように――いや、気に障ったら済まない。――テイラーが求めていた完璧な生物に、飛行能力と超心理学パラサイコロジー的能力を付加して、JNTは何をしようとしているんだ?」
 矢継ぎ早に質問を重ねてしまったが、サンクがそんなことを知っているなら、苦労はしない。彼自身、《Hydra-5》と呼ばれる実験体だったのだから、研究者側の情報とは無縁だろう。
「ぼく……」
 と、困った様に、眉を落とす。
 彼はただ、十年前のあのエディと同じように、毎日繰り返される非道な実験から逃げて来ただけの被害者なのだ。モルモットと同じ扱いしかされない……。
「《chimera-はね》のことを教えてくれないか?」


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