氷魚を飼う水槽 §社会倫理を逸脱した遺伝子実験は……§【完結】

竹比古

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ヒュドラ― - 蛇

無性生殖 2

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「何を――っ! 生きた人間を水の入った水槽の中に閉じ込めて――。一体、何を考えているんだ!」
 椎名は、あまりに非人道的なその行為に、目を瞠って、怒鳴りつけた。
 だか――。
「心配要りませんよ。水の中も『あれ』の棲み家だ。間違っても溺れはしない。陸上よりも楽なくらいですよ」
「……え?」
 ――棲み家……。
 その言葉は、多分、本当だったのだろう。エディは水槽の中でも苦しそうな表情一つ見せず、水に溶け込むように泳いでいる。
「それに、この記録自体が今のものではなく、半年ほど前のもので、ね。私が行った実験記録の一つですよ」
「……実験?」
「そう。あれが無性生殖をするところを記録したものです」
 テイラーは言った。
「……」
 ――無性生殖……。
 彼なら――エディなら、本当にそんな神秘を秘めていても不思議ではないように、思えた。
「もう始まりますよ」
 そのテイラーの声が届いた時、潜水服を着た男たちが水槽の中へと姿を見せ、逃げ回るエディを捕まえた。
 エディは碧い瞳を大きく見開き、脅えの表情を映している。
『怖がることはない。おまえは特別な生物だ。何も痛くはない』
 脅えるエディに語りかけるテイラーの声も記録されている。
『いやだ……っ』
 口の動きに、エディの言葉が読み取れた。
 その両脇を抱える潜水服の男の一人が、注射器の針ニードルを細い腕に突き立てる。
『や……っ』
 抵抗も満足に出来ないままに、エディは何かを注入され、不安げに瞳を震わせた。
 潜水服の男たちが、エディを捕まえる腕を解き、画面の外へと消えて行く。
「何をしたんだ? 彼に何を打った?」
 椎名は、天井の隅にある監視カメラを睨みつけ、きつい口調で問いかけた。
「クックッ。半年前の記録にえらく熱くなっておいでだ。別に、特別なものを打った訳ではありませんよ。『あれ』は、ある程度の栄養を身につけると――繁殖可能なだけの栄養があれば、『あれ』の意志に関わらず、無性生殖をする」
「何……?」
「他にも、ヒトデのように『あれ』の手を切り離して繁殖させることも可能だ。切り離した手からも、『あれ』の本体からも再生する」
「……」
 声すら出て来ない言葉だった。
 モニターに映し出されるエディの肢体は、あまりにも白く儚く透き通り、何度も激しく痙攣している。小さな顎を高く持ち上げ、細い喉も華奢な肢体も大きく反らし、痛みと苦しみに碧い瞳を見開いている。
『う……あ……。痛い……。苦し……』
『大丈夫だよ。ただの繁殖だ。生物ならどれでも行う』
『や……あ、あ――っ』
 呼吸が止まった――刹那だった。
『ああ―――――――― っ!』
 凄まじい叫びが水槽を震わせ、限りない神秘を生み出した。分裂を起こすエディの肢体は、白色半透明の肌をさらに透明に近く透き通らせ、自らが発光体のように仄かな光を灯している。その肢体を何度も大きく脈打たせ、その度に悲痛な苦鳴を零す。
 その体が水に溶けるほどに、透明に近くなった時だった。もう一人の彼が、そこに、いた。その細胞の隅々までもが、まさしく彼と同じ生命体だった。
 何という美しさ、なのであろうか。
 全ての生命の誕生が神秘であると言うなら、彼の神秘はその頂点にあるものだっただろう。白色半透明の氷魚の肌が、水に溶ける碧い瞳が、光を映す金の髪が……水の中で震え、脈打ち、見るものの肌に鳥肌を、立てる。
 魅せられて、いた。
 椎名は、ただ呆然とその光景を見つめていた。
「どうかな、ドクター.椎名? 『あれ』の美しさは。『あれ』こそ本当の神秘だとは思わんかね?」
 モニター画面が切り替わり、テイラーの姿が映し出された。それを見て、椎名はハッと我に返った。
「クックッ。『あれ』の最終実験も見てみたくなったのではないかね?」
「……最終実験?」
「そう。今までも何度か試みたが、一度もうまく行かなかった。生殖環境に変化が起これば、『あれ』はヒドラのように無性から有性に変化し、有性生殖を行えるはずだった。――だが、『あれ』は環境を変えても一向に有性に変化しない。DNAの組み換えも、遺伝子のスプライシングも、思いつく限り手を尽くしてみた積もりだったんだがね。それでも『あれ』は私の期待に応えてはくれなかった。それが、あなたと暮らした数週間で、『あれ』は性を変化させ、有性生殖が可能な生物となった。あなたとの生活に合わせるために――あなたとの生殖を可能にするために、ね」
「え……?」
 椎名は、テイラーの言葉に目を見開いた。
 エディが椎名との生殖を可能にするために性を持った……と、そう言ったのだ。
「あなたには本当に感謝していますよ、ドクター.椎名」
 その言葉の終わりに、部屋のドアがバタンと開いた。
 マシンガンを構える数人の男たちが、そこにいた。ダーク・スーツに身を包んだテイラーのガードである。
「さあ、一緒に来てもらおうか、ドクター.椎名」
 モニターの中では、テイラーが薄い笑みを浮かべていた。
 ――ヒドラのように、環境に応じて無性でも有性でも生殖可能な生物……。
 椎名はきつく指を結び、銃を押し付けられるままに、その一室を後にした……。


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