氷魚を飼う水槽 §社会倫理を逸脱した遺伝子実験は……§【完結】

竹比古

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ヒュドラ― - 蛇

男と少年 4

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 冷たい海の底だった。
 瞳を開くと、金の髪と碧い瞳をした人魚が、いた。優しい眼差しで椎名を見つめ、柔らかく暖かく微笑んでいる。
 その人魚の唇が、椎名の唇に、そっと触れた。何もかも包み込むような口づけだった。
『君は……誰だ?』
 その口づけに戸惑いながら――いや、優しさを感じながら、椎名は訊いた。水の中で話が出来ることも不思議では、なかった。
 人魚は、ただ穏やかな眼差しで、じっと椎名を見つめていた。
 銀色の燐光のように差し込む光が、海に美しくきらめいている。それは、神秘的なほどの荘厳さだった。
 そして、えもいわれぬ優しさだった。
『シーナ……。ドクター.シーナ……』
 声が、聞こえた。
 椎名には、聞き覚えのある声だった。
『……? エディ? エディなのか?』
 椎名は、その声に呆然としながら、問いかけた。
 愛らしい幼子の姿が、椎名の前に浮かび上がる。
 その幼子は、海底に横たわる椎名の姿を、ただ静かに見下ろしていた。銀鱗を白い羽根に変え、光の中に羽ばたいて……。
 彼が舞い降りたのは、マサチューセッツの病院だった。
『それは違うよ、エディ。時計は生き物じゃない』
 椎名は、彼がよく混同する『生命を持って動くもの』と『機械仕掛けで動くもの』について、説明した。一人で動くものが生き物だ、と教えた結果、電池で動く時計もミニカーも、彼にとっては生き物になってしまったのだ。
『……? うーっ!』
 エディは時計の秒針の動きを示して、抗議する。
 確かに一人で動いている。
『動いても生き物じゃない。玩具の電車も人形も――。ほら、触ってごらん。これは、ドクター.椎名の手。そして、これが君の――エディの手だ』
『……』
『判るだろう、エディ?』
 ――判るだろう、エディ……。
『鳥? ああ、鳥は君と同じ生き物だ。犬も猫も』
 椎名は、幼子の不思議な絵を見ながら、優しく言った。
 絵の中の鳥には、色々な部品が描き込まれている。
『電池は入っていないよ。機械もだ。入っていなくても飛べる。――君? 君は無理だ。羽根がない』
『……』
 彼は椎名の言葉を理解した。同じ生き物だ、ということも、羽根がなければ飛べない、ということも。
 理解していなかったのは……彼ではなく、椎名自身だったのだ。
『そこにいるんだっ、エディ! 動くんじゃないっ!』
 彼は鳥に興味を持ち、一旦始めたことを徹底的にやり抜かなければ気が済まない熱心さで、いつの間にか鳥と同じ位置に上っていた。
『じっとしているんだ! 今、ぼくがそこに行く!』
『とり……』
『エディ――――――っ!』
 鳥は羽ばたき、その鳥に伸ばした彼の手は、空を……切った。
『あなたのせいじゃないわ……』
 ――やめてくれ……。
『すいません、ドクター.椎名。私が目を離したから……』
 ――もうたくさんだ……。
 誰もそっとしておいては、くれないのだ。
 誰も彼を理解しては、くれない。
『……あなた、自分のことは全然話してくれないのね。いつもそうだわ……。私たち、知り合ってもう一年以上経つのに、あなたのことなんて一つも知らない。何も教えてくれないわ』
 何を教えろ、というのだろうか。何を話せ、と……。


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