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十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王

十九夜 白蛇天珠の帝王 7

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「これ……」
 花乃が、震える唇で、言葉を絞った。
 もう一方の手で支えながら、石の食い込んだ指を有雪に見せる。
「ん?」
 石――いや、石が食い込む柔らかい皮膚に、びっしりと細かい鱗のようなものが生えているのだ。まだ石の周囲の皮膚を囲んでいる程度だが、これから全身に広がっていくのだとしたら――。
「これは――。いかん! 体を乗っ取ろうとしておるのかも知れぬ」
 石の周囲から広がって行くようにも見える白い鱗は、まさしく白蛇のものとしか思えないものであった。このまま時間が経てば、鱗が全身に広がって行き、取り返しのつかないことになってしまうかも知れない。
「い……いやぁ――!」
 花乃の面が恐怖に歪む。今までも蒼い顔をしてはいたが、事態が悪い方向へと進んでいくことで、さらに追い詰められたのだ。
「落ちつくのじゃ」
 有雪は言ったが、悪霊退散、降魔退散の印を結んだ程度で、果たして退いてくれる手合いかどうか……。寺にある塚に封じられていたのなら、さぞ名のある僧が封じたのだろう。
 いつものデカイ態度と大口は何処へやら、異なる世界、じゅに憑かれた娘の前では、田楽屋敷でするような大見栄は切れなかった。
「先程の寺へ参るぞ。また『しばす』とやらに――」
「ダメ! タクシーで行かないと、拝観時間が終わっちゃう!」
「たくしー……?」
 一応、市バスが何であるかは学んだのだが、次はタクシーなるもの……。
 別の世界の仕組みは難しい。
「また金がかかるのであろう?」
 有雪はそれを心配した。何しろ、市バスに乗った時も、自分の分の運賃まで支払わせてしまっているのだから。
 いつの時代も、何処の世界でも、色男、金と力は無かりけり――という情けなさを露呈する有様なのだ。
「大丈夫。パパのカード――ファミリーカードがあるから」
「ふぁみ……?」
 もうこれ以上は問うまい。いくら博識を自負する有雪であろうと、この異なる世界の仕組みの中では、別の知識が必要である。
 という訳で、今度は堀川通りでタクシーを止め、二人は再び鹿苑寺への道を急いだ。
「それにしても、この乗り物も速い!」
 さっきの市バスもとてつもなくデカくて速い乗り物で仰天したが、この世界には馬よりも速いカラクリぐるまが列をなして走っているのだから、腰が抜ける。しかも、堀川沿いには四角くて高い建造物が犇めいていて、一歩通りを入れば、京町屋の姿が見られたりもする。だが、それとて、有雪の知る町並みとは、あまりにも形が違っているのだが……。
「車も知らないって、どんな田舎から出て来たの?」
 呆れるような花乃の問いに、
「田舎? 俺がいたのは歴とした国の中心、京師けいしじゃ」
「この国の中心は東京よ。――K市? そんなところ、聞いたこともない」
「……」
 やはり、全く別の世界に来ているらしい。――いや、それは、この奇妙な建造物や車の列を見た時から、最早抗いようのない事実として受け止めてはいたのだが。
「では、ここがその東京なのか?」
「まさか。ここは――」
 花乃の言葉は、そこで止まった。
 視線の先には小石の食い込んだ人差し指があり、その周囲を変化させていた白い鱗は、今や指一本を包むほどに広がっていた。
 花乃の表情に怯えが広がり、涙がぽたぽたと零れ落ちる。
 自分の身に起こっている恐ろしい現象が、怖くてたまらないのに違いない。
 ――こういうのが一番苦手なのだ。
 ただ、黙って泣かれるのが。
 煩く喚き立てるなり、半狂乱に当たり散らすなりしてくれれば、まだ言葉のかけようもあるというのに。
 バックミラー越しに、タクシーの運転手がちらちらと盗み見ているものだから、尚、心地が悪い。有雪の、この世界の人々とは違う装束も気になるのだろうが(市バスの中でもジロジロ見られた)、これではまるで、自分が泣かせてしまったようで……。
「案ずるな。もうすぐ着く」


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