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十八夜 黄玉芝(こうぎょくし)の記憶

十八夜 黄玉芝の記憶 24

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『……承知。いつか、時が来たら、貰い受けよう』




「……何だったんだ、今の記憶は?」
 黄玉芝の輝く浮島に立ち、舜は刹那に流れ込んだ誰かの記憶から、目を醒ました。
 一気に流れ込んで来た情報のようでもあったし、長い時間、夢を見ていたような感覚でもあった。
「――虞氏なのか? それとも……雪蘭?」
 そう声を上げたのは、索冥だった。
 あの記憶の中に索冥も登場していたのだから、当然知り人なのだろう。
 それに、あの魔氷の結晶……。
「僕にも見えたけど、ぐすん。みんな可哀想で……」
 灰の姿なので涙までは見えないが、デューイの涙まじりの声も、スケルトンのブタの貯金箱の中から聞こえて来た。鼻を啜りあげる音の方が大きかったが、こちらも本当に鼻水が垂れていたのかどうかは定かではない。
「……索冥様」
 声が聞こえた。
 索冥だけでなく、舜にもデューイにも聞き覚えのある声だった。たった今、ついさっきまで聞いていた声だったのだから。
「方士、瓊なのか?」
 索冥がそう訊くまでもなく、
「すでに方士ではありませぬ……。ですが、ここにいればお会いできると思っておりました」
 あの時よりも穏やかな声で、瓊は言った。姿までは見えないのだが。
「俺に会うために、ここへ?」
 索冥が訊くと、
「あれから、虞氏様が帝位を禅譲され、御隠れになったと聞きました」
「虞氏は他人には優しいクセに、自分に厳しい人間だったのだ」
「誰に尋ねても、善き帝王だと……」
「それを伝えたかったのか?」
「いいえ」
 瓊は否定すると、
「あれから、何とかこの黄玉芝の元に辿り着いた私は、それでも、頂きにある蛟龍宮へはどうしても行き着けず……。ある御方が、ここで時を待つ術を私に授けてくださったのです」
「――ある御方?」
「やめろ。聞きたくない」
 二人の話に割り込んで、舜は言った。
 こういう時に出て来る名前は、まず間違いなく、あの極悪非道の冷血漢、この世で最も嫌いな父親であり、先祖でもある青年、黄帝である。月の神のように麗しい容姿に相反して……いや、ここで長々と説明をするのはやめておこう。どんな説明を持ち出しても、その青年の被害が防げるわけではないのだから。
「黄帝様がおっしゃるには――」
 ――やっぱり。
「――私が次の黄玉芝となれば、新しき帝王に会う機会もあるかも知れぬ、と」
 あるかも――とか、そんな曖昧な可能性のために、人としての生命を捨てて、そんな姿でたった独り、この洞窟で待っていたと言うのだろうか。
「――って、黄玉芝って、元は人間なのかっ?」
 舜には、何よりもそれが驚きであった。
 人間が変化したものだと聞いて、食べてみようと思えるはずもない。――普通の人間なら。
「人とは限らないが、他の動物が黄玉芝を求めて三神山へ入ることは、まずない」
「……オレ、やっぱり要らない」
 黄玉芝を手に入れるのがここへ来た目的だったのだが、舜はまだ普通の部類である。長生きし過ぎて、自分の人格すら判らなくなってしまっている父親とは違う。
「新しき帝王に会ってどうすると言うのだ?」
 舜の言葉を無視して、索冥が訊いた。
 ――一応、舜は、瓊が会おうとしていた帝王――かも知れないのに。
「何も――。ただ、あの日の過ちを、こうして伝えたかったのです……。村人に殺された仔狐も、雪蘭に殺された村人も、私が殺した雪蘭も……あの時どうすれば良かったのか、きっと、いつか答えを……」
 まだ言葉の途中だったが、瓊の声はそのまま薄れ、続きは聞こえなくなってしまった。
「――どうなったんだ? まだ何か言っていたんじゃないのか?」
 舜が訊くと、
「黄玉芝の姿で伝えられる言葉は限られている。わずかな時しか話せないはずだ」
 索冥は言った。
「……」
 だから、記憶に焼き付けていた過ちを、刹那に同調させて、ここに訪れた者に見せたのだろうか。次に訪れるのが、新しい帝王であると信じて……。
「舜のあの魔氷の気は、雪蘭が残したものだったんだね」
 デューイが言った。
「オレは……」
 善き帝王としか思えなかった舜帝でさえ、自らを愚帝として退いた、というのに、まだ自分が何をしたいのかさえ解らない舜に、瓊の出せなかった答えが導き出せると言うのだろうか。
 いや、出さなくてはならないのだ。雪蘭の魔氷ちからと、瓊の思いを受け継いだからには――。
「答えは待ってくれるんじゃないかな」
 デューイが言った。
「今日までずっと待っていたくらいなんだから、これからも――。舜も僕もまだ答えを出せるほど達観してないし」
「何偉そうに言ってんだよ! しかも、なんで二人一組でセットにしてるんだ!」
「ご、ごめん、舜! でも、こういうの、結構気にするタイプじゃないかな、と思って!」
「気にする訳ないだろ! これは全部、黄帝の企みに決まってるんだからな。絶対に乗ってなんかやるもんか!」
 薄暗い洞窟の中、ただ静かに佇む黄玉芝の傍らで、いつもの如く、またそんな言葉が飛び出して……。




 そして、索冥は思うのである。
 これはきっと、舜の言う通り、黄帝の企みであったのだろうと。
 だが、多分、答えよりも、あの日のことを伝えることこそ、この企みの真意ではなかったのかと。
「ほら、もう戻るぞ。次の黄玉芝になりたいのなら、いても構わないが」
「オレはこの黄玉芝を採らないんだから、まだ次は必要ないだろ」
「でも、舜。――舜が採らないのなら、これって、誰のための黄玉芝なんだろう?」
 デューイのそんな疑問も解けないままに、三人は洞窟の外へと踏み出した。

 きっと、黄玉芝の記憶を見た二人には、あの日の舜帝の気持ちも、雪蘭の気持ちも、瓊の気持ちも、解っていたに、違いない……。





               了





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