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十八夜 黄玉芝(こうぎょくし)の記憶

十八夜 黄玉芝の記憶 19

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 何人なんびとも拒むことのない舜帝の結界は、雪蘭を受け入れた時と同様、瓊のことも受け入れた。
 この結界は、魔や悪しき類を封じるものであっって、決して人を拒むためのものではあり得ないのだ。さらに言うなら、雪精霊が人として不自由なく暮らすための、虞氏の配慮であったとも言える。
 もちろん表向きは、舜帝の暮らすこの屋敷に、不穏な物を近づけないため、という大義ではあったが。
 多くの人々は、物の怪や魔物の類を、人間とはかけ離れた悪しき生き物だと考えていたのだ。人を愛する心さえ持ってはいないのだと――。
 だが、彼ら魔物の何処が、人間と違うというのだろうか。
 彼らが悪だというのなら、人間は善だとでも言うのだろうか。
 人であれ、魔物であれ、善と悪を混在させているものが、生き物ではないのだろうか。
「雪蘭に会いに来た。瓊と言えば判る」
 屋敷の侍女にことづけて、瓊は錫杖を一つ鳴らした。
 この屋敷の者たちは、雪蘭を魔物だとは思っていないようだが、あの魔氷の気の力を目の当たりにすれば、最早信じるしかなくなるだろう。家族のために危険な雪山に狩りに出た男たちを、瞬時に氷漬けにしてしまった、あの力を……。
「瓊……」
 屋敷の奥から出て来たのは、見間違いようもなく、あの雪山で瓊が退治したはずの雪精霊、雪蘭だった。透き通るような白い肌も、鮮やか過ぎる深紅の唇も、流れる黒髪に映えて、美しい。
「二度もこの私に手をかけさせるな、雪蘭」
 錫杖を構え、瓊は言った。
 周囲では、侍女や見張りの男たちが、事の成り行きを見守っている。
 方士、瓊の言うことが正しいのか。
 それとも、雪蘭は舜帝が見染めただけの、何の力も持たない娘なのか。
 緊張した面持ちの雪蘭に、誰もの視線が集まっていた。
「私には……何の事だか……」
 雪蘭が言った。
「では、この錫杖の響きも覚えておらぬと?」
 カツン、と瓊が錫杖を持ち上げて地を叩くと、シャラン、と魔を祓う大きな音が鳴り響いた。
 雪蘭の面が、固く強ばる。
 魔性の者に、錫杖の音は苦痛なはず。
「どうだ、思い出したか、雪精霊?」
 その言葉にも、
「私はただの女……。どうぞそっとしておいてください。ここだけが……舜帝様のお傍にいることだけが、私の……ただ一つの望みなのです」
 しおらしく目を伏せ、雪蘭は言った。
 今度は何を考えているのか、魔物であることを明かそうとはしない。もし、雪蘭の言葉に、舜帝や麒麟でさえも騙されているのなら――。
「正体を現すのだ、雪精霊! 誰に何を偽ろうと、私の目はごまかせぬ!」
 ジャラジャラジャラと錫杖を鳴らし、瓊は強い言葉で雪蘭を見据えた。
 雪蘭は何を言い返す訳でもなく、本当にただの娘のように、瓊の言葉に項垂れている。
 そこへ――。
「何を騒いでいる?」
 現れたのは、雪よりも白い真綿の髪と、神秘的なほどに整った面貌をした、少年だった。
「索冥さま……」
 一同が――見張りの男たちや使用人たちが、頬さえ染めてかしこまる。
 人の姿を取ってはいるが、人では在り得ない存在――白麒麟の索冥。優雅な足取りで現れたのは、その仁獣だった。
「舜帝の屋敷で、この騒ぎは何事だ?」
 と、騒ぎの原因である瓊の方を厳しく見据える。


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