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十八夜 黄玉芝(こうぎょくし)の記憶
十八夜 黄玉芝の記憶 13
しおりを挟む海の中に、三神山があるという。
蓬莱、方丈、瀛州と呼ばれ、いずれも人の立ち入りを拒むように、船は辿り着くことが出来ないのだと。
どこから陸につけようとしても、波に邪魔されて離される。
だが――。
その年の冬、渤海に張った白い氷は、いつも人を拒む波を、鎮めていた。
「――で、その紅の長衣、山に身を隠すには不向きであろうに、何故そのように目立つ姿をしているのだ?」
錫杖をつき、氷の海を渡る瓊の言葉に、
「これは……」
雪蘭は少し言い淀んだ。
「いや、詮無いことを訊いてしまった。別に私に話すことはない」
「……そういう意味で黙ったのではない。今まで誰にも訊かれたことがなかったから、どう応えていいのか解らなかったのだ」
雪蘭は言い、
「私の母は、雪山に白い着物姿で目立たぬように棲んでいた……」
――だから、父に――黄帝に忘れ去られてしまったのだ。
そんな母の姿はこの上なく憐れで、雪蘭は、母の言葉でしか知らない父の姿に、いつも憧れを抱いていた。――そう。恨むのではなく、憧れていたのだ。母が少女のように幸せそうな顔で話してくれる、異国の地の、まだ見ぬ父に。
そして、母が死に、父がいるというこの大陸に移り住み――。
「赫い色は、この大陸では《生命力》を象徴する色だと聞いた。私は、生きて黄帝様に会いたかった」
会って、母が何故あれほどまでに幸せそうな顔をしていたのか、確かめたかった。
そんな話をしながら三神山の一角に登り、厳しい斜面に互いの口数も減って行った。
寒さもさることながら、人が立ち入らないために、道がないのだ。全て自身で切り開いて行かねばならず、ここで夜を過ごすのは、余程の準備がなければ無謀だった。――いや、それは人である瓊に限ったことであり、雪蘭には三神山の険しさも寒さも苦ではなかった。
歩き始めてすぐに、瓊の足取りは鈍くなり、両手を使わなければ登れない場所では、手に持つ錫杖が邪魔になった。
「そんな錫杖を持って来るから――」
「これを離すことは出来ぬ」
「……。好きにすればいい」
人は――いや、この世に生きる者は、自分の心の拠り所を手放すことが出来ない生き物なのかも知れない。
なら、雪蘭の心の拠り所は、何なのだろう。
今まで、誰かに――或いは山の生き物に興味を持って近づいても、恐れ、逃げられ、触れただけで凍りつかせ、こんなに長く誰かと行動を共にすることはなかった。
一人ではない、ということが、こんなに楽しいものだったなど――。いや、もちろん知っていたが、これまではすぐに別れが来た。
今回は、そんな日は来ないかもしれない。
薬草や神芝を探すだけの日々だが、それでもこんなに楽しいのだから。
「何を笑っている?」
そう瓊に訊かれ、雪蘭は自分が笑みを結んでいることに、初めて気が付いたのだ。
ふふ、と笑い、
「いつも気取っている方士が、形振り構わず四本足で岩に張り付いているのが可笑しいのだ」
ムッとする瓊の顔を見るのも、また楽しかった。
岩肌が剥き出しになった岩山は、所々に樹木が生えているものの、野山に棲む動物たちが生命を維持できそうなほどの糧が得られるとは思えなかった。険しい斜面に形作られるこの山に、長くとどまるのは無理なのだろう。
「人の足では日がかかり過ぎる。出直そう」
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「永き命を持つ者は悠長でいい」
「長くかかっても数年のこと――。飢えと寒さで命を落とすよりも賢いはず」
「のう、雪精霊よ。人には明日の命など約束されてはおらぬのだ」
「……」
「だからこそ、今日出来ることを明日に回したりすることはない」
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