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十七夜 憑き物の巣
十七夜 憑き物の巣 13
しおりを挟む祐樹は家に戻ったものの、しばらくは何もする気になれず、茫と食卓の椅子に腰かけていた。
母親は、すぐそこに倒れていたのだ。
誰もいない静かな部屋は、本当に自分の息遣いしか聞こえない、とてつもなく寂しい空間だった。
今までだって、母親とそんなに話をしていた訳ではないし、賑やかであった訳でもない。静かな家庭だったと思うのだが……。一人になるということは、想像以上の沈黙と隣り合わせの世界らしい。
今になってやっと、母親が倒れ、自分一人になってしまったのだ、という実感がわいて来た。
実を言うと、会社もすでに辞めていて――いや、遅刻と無断欠勤でクビになり、このまま母親が働けなくなってしまったら、収入もない。貯金があるのかどうかも知らないし(少なくとも、祐樹はない)、母親の入院費用だって、どうすればいいのか……。いや、女手一つで祐樹を大学まで行かせてくれた家庭に、満足な貯金などないだろう。
幸いなことは、母親がまだ祐樹が会社をクビになったことを知らない、ということである。
無論、入院費用すら払えないこの状況では、すぐに知れることになるだろうが。
今まで母親に知られずにいたのは、朝から晩まで働いている母親には、祐樹が一日中家にいようと解らなかった、というだけのことで。
朝、会社に行くフリをして出かけた祐樹が、少しして母親がパートに出掛ける時間を見越して戻って来ても、それを知る術は母にはなかったのだから。
そんなこんなで、ひと月半――。
もちろん、仕事も探さなければ、とも思っていたし、母親や真綾に黙っていることにも罪悪感を感じてはいたが、そんなこともすぐに慣れ、加えて、そんな煩わしいこととは無縁のゲームの世界に、さらにのめり込むことになったのである。
そう。『らら』は何も訊かないし――。
「仕事は?」
とか、
「何時に帰るの?」
「晩御飯は何がいい?」
そんな毎日の決まりごとのようなつまらないことも、
「次の休み、空いてるでしょ?」
「私とゲームとどっちが大事なの?」
そんな無神経な質問も、
「どうしてこんな簡単なことが出来ないんだ?」
「いつまで学生気分でいるつもりだ?」
そんな上司の腹立たしい台詞も――。
煩わしいことは、何も言わない。
毎日部屋に籠って、『らら』と一緒に過ごしていられれば、幸せだった。
祐樹にとっては、それこそが最高に充実した日々だったのだ。
もちろん、このままずっとそれでいい、と思っていた訳ではないが……。そんなことは、ゲームが終わってから考えればいい。『らら』はもうじき《熾天使》になるのだから――。
「そうだ! 『らら』!」
唯一の心の拠り所である天使の存在を思い出し、祐樹は自分の部屋へと駆け出した。――いや、駆け出すほどもない狭い団地の一室なのだが、気分はまさにそれだったのだ。
もう、母親の保険証を探すことも忘れていた。
言い訳をするなら、『らら』をちゃんと天界に還して、ゲームを閉じてから探そうと思っていた。
もちろんそれは本当に言い訳でしかなかったのだが……。
『さみしかったわ、祐樹』
『ごめん、君のことを忘れていた訳じゃないんだ』
『わかっているわ。私はあなたの天使だもの』
『次は何をすればいい?』
『触れて、わたしに……』
『どうやって?』
『心で……』
『わかったよ。――こう? 抱きしめた方がいい?』
『抱いて――。わたしの力をあなたにあげる。だから、あなたも……』
『らら、僕の天使……』
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