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十六夜 五个愿望(いつつのねがい)の叶う夜
十六夜 五个愿望の叶う夜 11
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夜は、沈む陽と共に眠るために、灯りは要らない。
テレビや雑誌、ゲームなどといった娯楽のない寒村では、夜は真の闇に包まれる。
そして、朝陽と共に床を出て、薄氷の張る冷たい水で粥を作る。
そんな変わり映えのない毎日だったが、娘が戻って来た時のために、畑を耕して待っていた。
そう。待つことなど苦痛ではなかった。
自分には、待つことのできる娘がいるのだと――そう思うことで、毎日を過ごして来れたのだ。
「かーさん」
まだ夜が明けるには早い時間、耳元でそんな声が聞こえて来て、幸倪は弾けそうな心臓で目を醒ました。
もちろん、そんなことなどあるはずがない。
自分を嫌っていた娘が、ここへ帰って来てくれることなど、単なる自分の願望でしかなかったのだから。
第一、きれいな服を着せてやったことなど、一度もない。
甘いお菓子を食べさせてやることも、学校へ行かせてやることも、何もかもしてやることが出来なかった。
『ここにいて何がしてもらえるの? かーさんみたいに、真っ黒に日焼けして、一生、芋を食べ続けるの?』
『……』
子供に何もしてやれない――そんな自分に、言い返せる言葉は何もなかった。
それなのにまだ甘い夢を見て、娘が戻って来た時のために……などと、畑を耕し続けている。
だから、こんな夢をみてしまうのだ……。
「かーさん、起きて」
「え……?」
再び聞こえた鮮明な声に、幸倪は治まりきらない鼓動を胸に、暗い家で目を開いた。
そこには、都会の生活ですっかり垢ぬけた――それでも、昔のままの、少し人見知りをする懐かしい笑顔の娘が立っていた。
「……深緑?」
この暗闇の中で、何故こんなにはっきりと見て取れるのかも、最早疑問には思わなかった。
娘が戻って来てくれた――それが幸倪には、何よりも驚きに値することだったのだ。
「ごめんね、かーさん。勝手なことばっかり言って、連絡もしないで心配かけて」
少し照れるように、それでも、今まで聞いたことがないほど素直な言葉で、深緑が言った。
「深緑……」
胸が詰まり、喉が詰まり、言葉は何も出て来なかった。
「あたし、ずっとここにいれば良かった。――ううん、街で痛い目に遭ったから、やっとここの大切さが判ったんだと思う。だって、かーさんのお粥とお芋が、こんなに懐かしい」
「……」
何か言ってあげたいのに――。
子供時代の不遇を詫びたいのに――。
どうしても声が出せなかった。
「ねぇ、かーさん。あたし、母さんの子でよかったな」
「……」
「だって、あたし、空を飛んだのよ。こんな夢を叶えてもらえた子供って、きっと、あたしくらいだと思うの」
「深緑……?」
「かーさん、先に逝っちゃうけど、ごめんね」
「何を――」
「これが五つ目の願いなの。あたしの気持ちを話したいの。今夜だけ――夜が明けて、かーさんが目を醒ますまでの間だけ、あたし、ずっとここにいるから……」
――目を醒ますまでの間だけ……。
そんな不思議な言葉を聞きながら、幸倪は、その幸福過ぎるほど暖かい時間に浸っていた。
そして、明け鶏の声と共に、空は紫色に変わり始めた……。
簡素な床の中で目を醒まし、幸倪は、現実のようにはっきりと感触の残る夢の名残に、涙を零した。
夢の中で、娘は全てを語ってくれた。
黒い悪魔と白い悪魔、そして、姿の見えない悪魔が現れて、自分の願いを叶えてくれたのだと。
五つ目の願いを叶える前に死んでしまった自分を、《煬帝の柩》という、『死して尚、生者の夢枕に立って望みを叶えることが出来る』、という不思議な柩の中に入れて、素直な気持ちを伝える機会を与えてくれたのだと。
そんな不思議な柩があることも驚きなら、娘が楽しそうにそれを語ってくれることも驚きだった。
――母さんのことが嫌いじゃないの?
――この汚い手が恥ずかしくはないの?
胸が苦し過ぎて、訊けなかった。
まるで、ほんの幼かったころの娘の姿を見るようだった。
その娘がこう言うのだ。
辛い時に思い出すのは、いつも、ここで過ごした子供時代の思い出だったのだと。
辛い時、ここへ帰りたいと思うのだと。
それなら――。
辛い時に思い出すのが、ここでの懐かしい思い出だというのなら、もうここでのことは思い出さずにいて欲しい。
自分のことも、忘れたままで構わない。
どうか、昔のことなど思い出さないほどに、幸せになって輝いて欲しい。
そう告げると、深緑は苦笑するように笑って見せた。
「かーさんも、ね」
と……。
五つの願いは、この聖なる夜に相応しいほど、尊く、優しい望みだった。
そして、それを叶えてくれた悪魔――木霊たちも……。
――この後、自分の失態で、人間に怪我をさせてしまった舜が、黄帝に厭味を言われてしまったかどうか?
それは、皆さまのご想像のままに……。
了
テレビや雑誌、ゲームなどといった娯楽のない寒村では、夜は真の闇に包まれる。
そして、朝陽と共に床を出て、薄氷の張る冷たい水で粥を作る。
そんな変わり映えのない毎日だったが、娘が戻って来た時のために、畑を耕して待っていた。
そう。待つことなど苦痛ではなかった。
自分には、待つことのできる娘がいるのだと――そう思うことで、毎日を過ごして来れたのだ。
「かーさん」
まだ夜が明けるには早い時間、耳元でそんな声が聞こえて来て、幸倪は弾けそうな心臓で目を醒ました。
もちろん、そんなことなどあるはずがない。
自分を嫌っていた娘が、ここへ帰って来てくれることなど、単なる自分の願望でしかなかったのだから。
第一、きれいな服を着せてやったことなど、一度もない。
甘いお菓子を食べさせてやることも、学校へ行かせてやることも、何もかもしてやることが出来なかった。
『ここにいて何がしてもらえるの? かーさんみたいに、真っ黒に日焼けして、一生、芋を食べ続けるの?』
『……』
子供に何もしてやれない――そんな自分に、言い返せる言葉は何もなかった。
それなのにまだ甘い夢を見て、娘が戻って来た時のために……などと、畑を耕し続けている。
だから、こんな夢をみてしまうのだ……。
「かーさん、起きて」
「え……?」
再び聞こえた鮮明な声に、幸倪は治まりきらない鼓動を胸に、暗い家で目を開いた。
そこには、都会の生活ですっかり垢ぬけた――それでも、昔のままの、少し人見知りをする懐かしい笑顔の娘が立っていた。
「……深緑?」
この暗闇の中で、何故こんなにはっきりと見て取れるのかも、最早疑問には思わなかった。
娘が戻って来てくれた――それが幸倪には、何よりも驚きに値することだったのだ。
「ごめんね、かーさん。勝手なことばっかり言って、連絡もしないで心配かけて」
少し照れるように、それでも、今まで聞いたことがないほど素直な言葉で、深緑が言った。
「深緑……」
胸が詰まり、喉が詰まり、言葉は何も出て来なかった。
「あたし、ずっとここにいれば良かった。――ううん、街で痛い目に遭ったから、やっとここの大切さが判ったんだと思う。だって、かーさんのお粥とお芋が、こんなに懐かしい」
「……」
何か言ってあげたいのに――。
子供時代の不遇を詫びたいのに――。
どうしても声が出せなかった。
「ねぇ、かーさん。あたし、母さんの子でよかったな」
「……」
「だって、あたし、空を飛んだのよ。こんな夢を叶えてもらえた子供って、きっと、あたしくらいだと思うの」
「深緑……?」
「かーさん、先に逝っちゃうけど、ごめんね」
「何を――」
「これが五つ目の願いなの。あたしの気持ちを話したいの。今夜だけ――夜が明けて、かーさんが目を醒ますまでの間だけ、あたし、ずっとここにいるから……」
――目を醒ますまでの間だけ……。
そんな不思議な言葉を聞きながら、幸倪は、その幸福過ぎるほど暖かい時間に浸っていた。
そして、明け鶏の声と共に、空は紫色に変わり始めた……。
簡素な床の中で目を醒まし、幸倪は、現実のようにはっきりと感触の残る夢の名残に、涙を零した。
夢の中で、娘は全てを語ってくれた。
黒い悪魔と白い悪魔、そして、姿の見えない悪魔が現れて、自分の願いを叶えてくれたのだと。
五つ目の願いを叶える前に死んでしまった自分を、《煬帝の柩》という、『死して尚、生者の夢枕に立って望みを叶えることが出来る』、という不思議な柩の中に入れて、素直な気持ちを伝える機会を与えてくれたのだと。
そんな不思議な柩があることも驚きなら、娘が楽しそうにそれを語ってくれることも驚きだった。
――母さんのことが嫌いじゃないの?
――この汚い手が恥ずかしくはないの?
胸が苦し過ぎて、訊けなかった。
まるで、ほんの幼かったころの娘の姿を見るようだった。
その娘がこう言うのだ。
辛い時に思い出すのは、いつも、ここで過ごした子供時代の思い出だったのだと。
辛い時、ここへ帰りたいと思うのだと。
それなら――。
辛い時に思い出すのが、ここでの懐かしい思い出だというのなら、もうここでのことは思い出さずにいて欲しい。
自分のことも、忘れたままで構わない。
どうか、昔のことなど思い出さないほどに、幸せになって輝いて欲しい。
そう告げると、深緑は苦笑するように笑って見せた。
「かーさんも、ね」
と……。
五つの願いは、この聖なる夜に相応しいほど、尊く、優しい望みだった。
そして、それを叶えてくれた悪魔――木霊たちも……。
――この後、自分の失態で、人間に怪我をさせてしまった舜が、黄帝に厭味を言われてしまったかどうか?
それは、皆さまのご想像のままに……。
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