上 下
389 / 533
十五夜 穆王八駿(ぼくおうはっしゅん)の因

十五夜 穆王八駿の因 30

しおりを挟む

 さらさら、と何かが流れるような気配がした。
 意識を失った櫻花の口から、まだ何かが出て来ようとしている。
 そして――。
「舜っ!」
 気を失った櫻花が、見知らぬ声で舜を呼んだ。――いや、記憶のない舜から見ると、そう見えたのだが、実際に舜の名前を呼んだのは、たった今、櫻花の口から流れ出て来た、微細な灰の『青年』だった。
 もちろん、皆さまはとっくの昔にご存じだろう。
 中国とラオスの国境近くに聳える山の中、白アリに蝕まれる桜の木の根元から、白アリの巣に入り込み、その微細な体を利用して、隅々まで白アリを退治して出て来たデューイである。もちろん、退治した白アリを、桜の木の外へ放り出すことも忘れずに。
 自分の気を、ここまで細かく正確に操り、樹の内部に走らせて白アリを退治することは無理でも、元々、体自体が微細な灰であるデューイなら、気だけを緻密に操る必要はない。少し気持ち悪いが、白アリの巣喰う樹の内部に入り込み、手当たり次第に倒して回ればいいのだから。
「こっち側に出て来れるなんて思わなかった! やっぱり、君もこの桜の樹を助けようとしていたんだ、舜!」
 満面の笑顔が見えるような声が、さらに舜の周りにまとわりついた。
 何とも嬉しそうな声である。
 そして、舜の反応は、といえば……。
「誰だっけ、こいつ?」
 やはり記憶はないのである。
 この後、デューイがどれだけ落ち込み、ハンマーで頭を殴られたかのようにショックを受けたかは……まあ、長くなるので、ここでは書くのをやめておこう。
 とにかく、舜が自分を覚えていないことはもちろん、それが冗談でも何でもなく、思い出してくれそうな気配もないことに、地面に這いつくばるほどに落ち込んでいたのだ。
 そこへ、
「とにかく、礼を言うよ。オレじゃ、どうしようもなかった。――ありがとう」
 そんな、舜のいつになく優しく素直な礼の言葉が聞こえて来たものだから、この時のデューイの歓びようも――いやいや、これも書き始めると、あっと言う間に一頁を埋め尽してしまうことになるから、割愛させていただくとして。
 取り敢えず、灰の身でありながら、もう一度燃えて、燃えカスになってしまいかねないほどに、狂喜乱舞してのたうっていた。
「……こいつ、アブナイ奴なのか?」
 そう舜が索冥に訊いたのも、無理のないことであっただろう。
 その間、櫻花の方は、意識を失ったまま昏倒していたが、大花に見守られながら、静かな呼吸を繰り返していた。
 さっきのような苦しみの翳は、そこにはない。
 ただ静かな眠りだった。
「目ぇ醒めへんけど、大丈夫なんかなぁ……?」
 心細げに、そんなことを問いかける大花に、
「上を見てみろ」
 索冥が言った。
 そこには――。
 花びらの散った、その桜の木の枝々には、まだ柔らかい新緑の芽がうぶいていた。
『――もし、新芽が、蟲に食い荒らされていない枝先に芽吹いたら、その時は……』
 あの時の、櫻花の願いが脳裏を過った。
 もし、新芽が生いたら、風の渡る大地に植えて欲しい、と……。
 それが、山を出て別の場所へ行ける舜に託された願いだった。
 舜は右手の四指を真っ直ぐに伸ばすと、桜の木の一枝に向けて繊手を走らせ、美しく鋭く伸びた爪の先で、その一枝を切り落とした。
 桜の木を傷つけないよう、切られたことも判らないほどの鮮やかな速さと切り口で。
 あとはこの一枝を、新しい地に植えてやればいい。


しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

魔術師セナリアンの憂いごと

野村にれ
ファンタジー
エメラルダ王国。優秀な魔術師が多く、大陸から少し離れた場所にある島国である。 偉大なる魔術師であったシャーロット・マクレガーが災い、争いを防ぎ、魔力による弊害を律し、国の礎を作ったとされている。 シャーロットは王家に忠誠を、王家はシャーロットに忠誠を誓い、この国は栄えていった。 現在は魔力が無い者でも、生活や移動するのに便利な魔道具もあり、移住したい国でも挙げられるほどになった。 ルージエ侯爵家の次女・セナリアンは恵まれた人生だと多くの人は言うだろう。 公爵家に嫁ぎ、あまり表舞台に出る質では無かったが、経営や商品開発にも尽力した。 魔術師としても優秀であったようだが、それはただの一端でしかなかったことは、没後に判明することになる。 厄介ごとに溜息を付き、憂鬱だと文句を言いながら、日々生きていたことをほとんど知ることのないままである。

さようなら、わたくしの騎士様

夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。 その時を待っていたのだ。 クリスは知っていた。 騎士ローウェルは裏切ると。 だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。

神様のミスで女に転生したようです

結城はる
ファンタジー
 34歳独身の秋本修弥はごく普通の中小企業に勤めるサラリーマンであった。  いつも通り起床し朝食を食べ、会社へ通勤中だったがマンションの上から人が落下してきて下敷きとなってしまった……。  目が覚めると、目の前には絶世の美女が立っていた。  美女の話を聞くと、どうやら目の前にいる美女は神様であり私は死んでしまったということらしい  死んだことにより私の魂は地球とは別の世界に迷い込んだみたいなので、こっちの世界に転生させてくれるそうだ。  気がついたら、洞窟の中にいて転生されたことを確認する。  ん……、なんか違和感がある。股を触ってみるとあるべきものがない。  え……。  神様、私女になってるんですけどーーーー!!!  小説家になろうでも掲載しています。  URLはこちら→「https://ncode.syosetu.com/n7001ht/」

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

陛下を捨てた理由

甘糖むい
恋愛
侯爵家の令嬢ジェニエル・フィンガルドには、幼い頃から仲の良い婚約者がいた。数多くの候補者の中でも、ジェニエルは頭一つ抜きんでており、王家に忠実な家臣を父に持つ彼女にとって、セオドール第一王子との結婚は約束されたも同然だった。 年齢差がわずか1歳のジェニエルとセオドールは、幼少期には兄妹のように遊び、成長するにつれて周囲の貴族たちが噂するほどの仲睦まじい関係を築いていた。ジェニエルは自分が王妃になることを信じて疑わなかった。 16歳になると、セオドールは本格的な剣術や戦に赴くようになり、頻繁に会っていた日々は次第に減少し、月に一度会うことができれば幸運という状況になった。ジェニエルは彼のためにハンカチに刺繍をしたり、王妃教育に励んだりと、忙しい日々を送るようになった。いつの間にか、お互いに心から笑い合うこともなくなり、それを悲しむよりも、国の未来について真剣に話し合うようになった。 ジェニエルの努力は実り、20歳でついにセオドールと結婚した。彼女は国で一番の美貌を持ち、才知にも優れ、王妃としての役割を果たすべく尽力した。パーティーでは同性の令嬢たちに憧れられ、異性には称賛される存在となった。 そんな決められた式を終えて3年。 国のよき母であり続けようとしていたジェニエルに一つの噂が立ち始める。 ――お世継ぎが生まれないのはジェニエル様に問題があるらしい。

[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!

どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入! 舐めた奴らに、真実が牙を剥く! 何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ? しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない? 訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、 なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト! そして…わかってくる、この異世界の異常性。 出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。 主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。 相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。 ハーレム要素は、不明とします。 復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。 追記  2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。 8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。 2024/02/23 アルファポリスオンリーを解除しました。

僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた

黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。 その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。 曖昧なのには理由があった。 『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。 どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。 ※小説家になろうにも随時転載中。 レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。 それでも皆はレンが勇者だと思っていた。 突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。 はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。 ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。 ※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。

お前じゃないと、追い出されたが最強に成りました。ざまぁ~見ろ(笑)

いくみ
ファンタジー
お前じゃないと、追い出されたので楽しく復讐させて貰いますね。実は転生者で今世紀では貴族出身、前世の記憶が在る、今まで能力を隠して居たがもう我慢しなくて良いな、開き直った男が楽しくパーティーメンバーに復讐していく物語。 --------- 掲載は不定期になります。 追記 「ざまぁ」までがかなり時間が掛かります。 お知らせ カクヨム様でも掲載中です。

処理中です...