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十四夜 竜生九子(りゅうせいきゅうし)の孖(シ)

十四夜 竜生九子の孖 5

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 そう。姿形だけで、その者の価値を判断してしまうなど――。それは、なんと愚かな行為であったのだろうか。
 無論、自分と同じ姿の子を望むのは、龍族なら彼女も同じだろうが、だからと言って、自分と違う姿を、醜いとは思わないに違いない。
 デューイなど、以前、黄帝に似つかぬ蛇の下半身を持つ舜の兄、伏羲の姿に鳥肌立ててしまったことまで思い出し、その自分の愚かさと間違いに、すっかり底辺まで落ち込んでいる。
 舜も同じである。
 黄帝を嫌いながらも、一族の中で、一番黄帝に近い自分こそ、特別なものである、と、いつの間にか思っていたことにも、気付いていた。口では黄帝を悪く言いながらも、それでも、その黄帝に似ていることを、心底悔やんだりはしていなかったのだ。
 それどころか、白龍女公に似なかった子供を前にして、失敗作であるかのような言葉を口にしてしまった。
 これは、取り返しのつかない過ちである。
 言葉など何も見つけられない。もちろん、言い訳など論外である。
 誰もが動けず、薄氷を踏むような空気の中で、息を止め、自責の念にかられていた。――いや、ただ一人、そんなこととは無縁の存在もいるのである。
「おや、結構、やんちゃそうですよ」
 その言葉と共に吹き付けられたのは、刹那に辺りを凍りつかせる、白く美しい霧氷のようなひと息であった。
 シャラシャラと音を立てそうな冷たい息が、頭上にいる孖龍ふたごの内、一頭の口から吐き出される。
「うわあっ!」
 舜は慌ててそれを避け――たが、髪はパリパリに凍りついてしまった。
 灰であるデューイは刹那に霧散し、無事であったようだが。
「いきなり何するんだよ、こいつ!」
 睨みつける舜の傍ら、
「君の子供の頃にそっくりですねェ。考えもなしに取り敢えず身にある力を使ってみるなど」
 黄帝の厭味。
 確かに子供の頃、仁獣たる索冥を前に、そんなことをしたこともあった。
「朕は白龍王なるぞ! 魔物などにさげすまれるいわれは無い!」
 氷の吐息を吐いた孖龍しりゅうの内の一匹が、舜を見下ろして、吐き捨てる。
 もう一方は、
「非力な魔物相手に、くだらないことはやめておけ。母上の名が汚れる」
 と、もっともな意見。
「……こいつの方が腹が立つかも」
 もう一方の首へと目をやり、舜は言った。
 第一、舜は父親である。魔物呼ばわりされて、見下される覚えはない。そりゃ、そうされて当然の酷いことは言ってしまったが……。
「フンっ! 朕を侮辱することは、母上を侮辱するのと同じ! 凍らせて砕かなくては、気が済まぬ!」
 言葉と共に、再び氷の息が吹きつけられた。
 これで生まれたばかりだというのだから、先が思いやられる『やんちゃ』ぶりである。もちろん彼らには、その正当な理由があるのだが。それに、その魔氷の気は、明らかに舜から受け継がれたものである。
「わっ! やめろ、バカ!」
 吹きつける氷の息を避けながら、舜が言うと、
「馬鹿、と言ったのか? 二度も朕を穢すとは――!」
 孖龍の怒りが、さらに頂点へと爆発する。
 書庫の前室はすでに氷の世界に変貌していたが、それが解けることはなく、さらなる攻撃が降りかかる――。せまくは無いが、だだっ広いわけでもない部屋の中は、文机も椅子も北極圏の遺物のように蒼白く凍った。
 氷柱つららが下がり、冷気が凍みる。
「これ、よさぬか――」
「まあ、よいではありませんか、《西海白龍王敖潤》殿――。親が子に負けるようでは示しがつきません。ここは、せいぜい舜くんに躾けを任せてみなくては」
 白龍女公の心配をよそに、面白そうに――いや、当然のような表情でそう言ったのは、言わずと知れた黄帝である。
 こちらは、白龍王が白龍女公の望みの姿ではなかったことに詫びたものの、さしてこの双頭の孖龍の姿に申し訳なさを感じている風でもない。それどころか、楽しんでいるようにも見える。
 そう言えば、以前にもこの青年は、
『オレはあんたと違って、絶対、男とか蛇なんかには興味がないんだからな!』
 と、舜が吐き捨てた言葉に、
『姿形の違いなど、大した事ではありませんよ』
 と、何食わぬ顔で言ってのけたのだから、本当に何も気にしていないのかもしれない。目に見えている部分の違いなど、ほんの瑣末なものでしかないのだと。
 その間にも、気性の荒いやまいぬの如き龍の方は、舜に氷息を吹きつけ続け、もう一方の静かな面持ちの龍は、奥の書庫に興味がありそうに、舜には無関心を通している。
 まるで、争いや殺戮を好む《睚眦がいし》。
 そして、読み書きを好む《負屓ふき》のように。
 どちらも竜生九子の内の不成竜である。
「クソっ! オレが反撃しない優しい奴だとでも思ってるのか!」
 どんな攻撃にも大してダメージを受けていない室内と同様、舜も致命的な攻撃は喰らいもせず、氷息を躱しながら、悪態づいた。
 とても、躾をする父親の像からは、程遠い。
 舜にまだ余裕があるのは、孖龍ふたごの内、一頭だけの攻撃であること、そして、その孖龍しりゅうがまだ生まれたばかりの幼さであるということ――この二つのためであっただろう。
 だが、だからといって、反撃して傷つけることができるか、と問われれば、口で言うほど簡単には……。
「ああ、そうそう、舜くん――」
 こんなタイミングで、そんな呑気な言葉を持ち出すのは、何かたくらみがあるからに違いない。
 今日も舜は、その黄帝の言葉に、ピクリ、と眉を動かした。


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