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十三夜 聖なる叡智(ハギア・ソフィア)

十三夜 聖なる叡智 26

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「さて、デューイさん」
 今日は珍しく、舜ではなく、デューイが呼ばれた。これは滅多にないことである。何しろ、何かがひと段落ついた後の厭味と言えば、舜に向けられるもの、と決まっていたのだから。
 デューイは緊張した面持ちで――といっても、灰の姿なのでよく判らないのだが、彼をよく知る者なら、たとえどんな姿でも、わずかな灰の動きや、伝わり来る熱から、どんな顔をしているか判るのである。――と思う。
「あなたの力は、今や以前とは比べ物にならないほどに、重いものになっています」
「そうなのか?」
 黄帝の言葉にチャチャを入れるように、舜は言った。
 さっきも言ったように、今日は舜が何かを言われているのではないため、気楽なのである。
『……』
 デューイは何かを言ったと思うのだが、まだ鼓膜を震わせて言いたいことを伝えるのは苦手なようで、キュっと気を引き締めるような感覚だけが伝わって来た、としておこう。
 舜のチャチャは、当然のことながら、無視された。
「それは、言葉通り、あなたにとって重いもので、決して貴方自身が強くなったわけではありません。人としての姿を捨てて得た力は、その重さに耐えきれなくなってしまった時に、あなたを押し潰すものにもなるでしょう。力とは、相手を傷つけ、自分をも傷つけるものなのです」
『知って……い……。前……舜が……人狼……泣き……がら……殺……』
 途切れ途切れに、鼓膜を直接振動させる灰が、不器用に言葉を伝え始める。
 以前、キエフで舜が、自らの意思に関係なく甦る人狼たちを、自らの重き役目と力で泣きながら殺してやったように、力を持てば、それは重い責任も持つことになる。
 これまで、炎帝に近づくことさえできなかったデューイが、気付かれないままに近づき、目と耳を妨害し、体にさえ負荷を与えるほどに力を使うことが出来たのは、強くなったからなどではない。
 自分の力で傷つけ、殺せるものが増えた、という重さを背負っただけのことなのだ。
「自分が背負ったものを、強き力であると勘違いするのは愚かなことです。もちろん、あなたがそんな愚か者だとは思っていませんが」
 ――オレに厭味を言う時とは、えらく違うじゃないか!
 と、舜は、デューイへの信頼を口にする黄帝の言葉を睨みつけた。
 もちろん、黄帝は我関せず、
「今度からは、舜くんではなく、貴方自身が自らの犯した罪を償うことになります」
 その言葉には、
『はい』
 と、以外にもはっきりとした、鼓膜からの振動が伝わった。
 もちろん、短い言葉ではあったし、その言葉を伝えるのに、それほどの難しさはなかっただろうが。
 何故だか、その言葉を返す時のデューイの声は、生き生きとしているように感じられた。まるで、それこそが、彼が一番に望んでいたことでもあったように。
 そうなのだろうか。
 自分の代わりに舜が殺される――それが、彼には何よりも辛いことであったのだろうか。
 だからこそ、あんなことを……。
「ホントに、馬鹿だな、こいつ……」
 舜は、口の中で、呟いた。
 だが、鼓膜に入っていたデューイには聞こえていたようで、
『あの時……黙って……て……。泣か……せて……ごめん……』
 と、謝る言葉が、耳に響いた。
 あの時――。デューイが死に、消えてしまった、と思い込んで、不覚にも零してしまった涙のことである。
「うわああ――っ! 絶対、言うな! 二度と言うなっ! 今度そのことを思い出したりしたら、一生、鼓膜に入ることを許さないからな――!」
 舜の顔は、もう恥ずかしさに真っ赤である。
 普段、邪険に扱っていたくせに、あんな時に泣いてしまうなど――。それを本人に見られてしまうなど。
 まるで、一生の弱みを握られてしまったかのような、失態である。
 ――クソォ! オレは、黄帝にどんな目に遭わされても、泣いたことなんかなかったんだぞ。
 母親が絡むと、泣いてしまうマザコンだが。
「まあ、『大切なもの』を失くしてしまった時くらい、泣いてしまってもいいではありませんか。その方が君も可愛らしいですよ」
 舜の方の鼓膜だけを振動させる、という器用な真似は出来ないらしく、さっきのデューイの言葉は黄帝の鼓膜も震えさせていたようで、さっそく、皮肉。
 加えて、デューイは、ポッと頬を染めたりなどしている。――いや、染めているであろうと思わせる。
 ――絶対、こいつ、勘違いしてる。
 何かと、思い込みの激しい青年なのだ。
「オレが、この『灰』にケツを掘られたら、あんたのせいだからな! オレはあんたと違って、絶対、男とか蛇なんかには興味がないんだからな!」
「姿形の違いなど、大した事ではありませんよ。それに、死んでも治っていないようですが、その言葉――」
「今後は言葉に気をつけます、お父さまっ」
 と、憤慨して、言う。
 あれから十年の歳月が経ったとはいえ、死んでいた舜には、時は流れていないのである。無論、そのまま終わるはずもなく――、
「『この先、何があっても逆らったりしないから』――そう言いませんでしたっけ?」
「――」
 とんでもない弱みを握られてしまったものである。
 もちろん、そんな弱みなどなくとも、その青年の姿の父親に逆らえたことなど、ただの一度もないのだが。
 この先、どんな無理難題を押し付けられるのかは判らないが、今回はなんとかまるくおさまったようなので、めでたし、めでたし、としておこう……。




               了





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