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十二夜 貨殖聚斂(かしょくしゅうれん)の李(り)

十二夜 貨殖聚斂の李 21

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「さて、舜くん」
 索冥の姿が外に消えると、黄帝の視線が舜へと向いた。
 もちろん舜は、タヌキ寝入りを決め込もうとしたが――。
「うーん、なんか体が重いですねぇ」
 その黄帝の声が聞こえ、舜は、ぱちり、と目を開いた。心の中ではもちろん、「やった!」と拍手喝采、歓んでいた。
 何しろ、この奇峰の周囲に植えまくった《貨殖聚斂の李》の効力が現れたとしか思えない言葉であったのだから。
 だが、
「おや、君も体が重そうですねぇ」
 その黄帝の言葉に愕然となるのである。
 今は舜も《貨殖聚斂の李》に取り囲まれた家にいて、黄帝と同じ条件の中で過ごしているのだ。どう考えても、黄帝よりも先に舜の方が弱ってしまうのは目に見えている。
 ここは正直に話して謝るべきか――いや、この極悪非道な父親に謝るくらいなら……そうも考えたが、母親に会いに行く前に息絶えてしまうのは少々困る。
 ここはいっそ、喋れない振りをして――。
「ああ、そうそう。そういえば、翼を封印して、飛べないように重石おもしを付けたのでした。どんなものか自分でも試していたのをすっかり忘れていました」
「ええーっ!」
 翼が無いと、この奇峰の最峰から下りるのも大変で、街に行くのもとんでもなく困難な道のりになってしまう。
 舜は咄嗟に体を起こそうとしたが、その背中は黄帝が言ったようにとてつもなく重く、全く起き上がることが出来なかった。
「こんな重いの、起きられない……」
 舜が言うと、
「それが、人に思いを託されるという重みです」
 ただ静かな口調で、黄帝は言った。
「君がそのことをどう思っているかは知りませんが、虞氏も索冥もそれだけの重さを君の背中に託したのです。それは軽々しく扱っていいものでも、自分勝手に振舞っていいものでもありません。今の君がしなくてはならないことは、その重みをしっかりと受け止め、何が何でも立ち上がることです」
 わずか五歳の幼子に、本気でそんなことを言っている、というのだろうか、その青年は。
「ぼくが欲しがったわけじゃ……」
 当然、そんな甘えた言葉も出て来るだろう。まだ、本当に幼い子供なのだ。泣いても、拗ねても許されるような。
「――で、最後には、自分で望んで生まれた訳ではない、とでも言うつもりですか?」
 黄帝の言葉は厳しかった。
「……」
「君の意思に反することであれ、託された思いはすでに重さを持っているのです。そしてそれは、託した者の何よりも真剣な思いです。それが解らないと言うならば、君は生涯、その場から起き上がることは出来ないでしょう」
 生涯、この場から……。
 体は寝台に張り付いたように、ピクリともしない。
 背中が重すぎて、ほんのわずかも身動きが取れない、
 ――これが、人に託された思いを背負う、ということ……。
 なら、虞氏や索冥が舜に託したものとは――、いや、索冥が舜に託したものは知っている。《雪精霊の結晶》という、魔氷を操る『気』の力である。
 名前からして、雪精霊と呼ばれる魔物が持っていた力ではないかと思えるのだが……。
 だが、虞氏という人物のことは何も知らない。
「虞氏って、だれ……?」
 舜は訊いた。
 すると黄帝はやっと微かに笑い、
「それが今の君に必要なことです。自分が何を知らないのかを知り、聞かなくてはならないことを訊く。――さて、どこから話しましょうかねぇ……」
 この後、黄帝の話が何日――いや、何か月続き、その間、舜がどんな状態であったのかは、とても長い話になってしまうので、いつものことながら、ここに書き込むことはやめておこう。
 ただ、その後、舜の翼が黄帝のかけた封印により、向こう百年間使えなくなってしまったことと、魔氷の気の重みを感じながら使うことを覚えたことだけは、付け足しておいてもいいかもしれない。
 ああ、あと一つ。
 あの《貨殖聚斂の李》が、いつまで経っても二人の気を奪わないことに気付いたのも、黄帝の話の途中のことであった……。




                 了

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