上 下
302 / 533
十二夜 貨殖聚斂(かしょくしゅうれん)の李(り)

十二夜 貨殖聚斂の李 15

しおりを挟む

 方士は諦めることをしなかった。『あれは舜帝を喰い殺しにきた悪鬼である』と、雪蘭を魔物として追い詰め、傷つけた。
 だが、雪蘭が何よりも恐れていたのは、方士や官僚、民衆たちの敵意ではなく、自分が雪精霊であると、虞氏に知られることだった。それだけを案じて、術を使わず、ただひたすらに耐え忍んで過ごしていたのだ。
 虞氏が愚かであったのだ。
 雪蘭に告げておくべきだったのだ。
「おまえが雪精霊であることは知っている」
 と――。
 そして、
「おまえが何であっても愛している」
 と……。
 それをしなかったばかりに、雪蘭は方士に討たれて死んでしまった。抗うこともせず、力無きただの娘のように――。あの日、虞氏が方士に告げた言葉の通り、ただの娘の振りをして……。恐らくは、虞氏の――舜帝の名誉を守るために……。
 ――自分は何という罪を犯したのだろうか……。
 嘘をついたことで、雪蘭を身動きの取れない状況に追い込み、死なせてしまうなど――。
 最後に虞氏の手のひらに残ったのは、透き通るような雪の結晶だけだった。それはまるで彼女の心のように純粋で、何よりも美しいものだった。
「これは、そなたに預ける、索冥」
 涙のように暖かく、心のように壊れやすい結晶を差し出し、虞氏は言った。
「……。何故? これは、彼女が使うことをしなかった力――。あなたのために残したもののはず」
「私に持つ資格はない……。だが、いずれ必要となる時が来るだろう」
「……」
「それを持って、蓬莱山へ帰れ」
「虞氏――っ!」
「一人にしてくれ……」




 知らぬ振りをするのが優しさだと思っていたのだ。
 彼女が、いつか虞氏に自分の正体を知られるのではないか、と怯えているのを見て、気付かぬ振りをすることこそ、自分の役割であるのだと思っていた――。
「――そなたのように、潔くは生きられぬ」
 遠い日を思い出しながら虞氏は言った。
 黄帝は、ただ黙って瞳を細めている。微笑んでいるようでもあったし、過ぎし日を回想しているようでもあった。
「痛みは重ねるごとに柔らかくなるもの」
 と、ぽつりと言う。
「私には……一度で充分だ」
「見て行かないのですか? これからの舜くんの辿る道を」
 あの《雪精霊の結晶》を託された幼子の志すものを。
「確かに、見てみたくなるほど面白そうな子供だが、あの索冥を振り回しているのだから、案ずることはあるまい。――禅譲したのだ。もうこの目で見るのもこれが最後……」
「……」
「この体も始末してくれ」
「……。解りました」
「悪いな。厭なことばかりを頼む。また、おまえの評判が悪くなる」
「そうやって、人のことばかり考えてしまうのが、あなたの悪いところですよ」
「そなたも傷ついているのではないのか? そうやって、誰にも心を読ませぬようにして――いや、余計なことだった。忘れてくれ」
 そんなことは、誰にも言われたくはないことだろう。もちろん、それをまた口にしてしまえば、黄帝は、さっきと同じ言葉を返すだろうが。
『そうやって、人のことばかり考えてしまうのが、あなたの悪いところですよ』
 と……。
「……傷つくのを恐れる子ではなく、傷ついてもそれを得ることを選ぶ子に育てると約束しましょう。あの様子では、いつになるか判りませんが」
「急ぎはしない。時は、費やすためにあるのだから……」
 永きの眠りから醒めて尚、願うのは目醒めることのない眠り――。
 なら、果てしなく生きる意味とは何なのだろうか。
 そもそも、生きる、ということは……。


しおりを挟む

処理中です...