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十一夜 猩猩(しょうじょう)の娘
十一夜 猩猩の娘 25
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やはり、そんな至福のひと時が、永遠に続くことなどあり得なかったのだ。
李瑁の母であり、唐の第九代皇帝の寵妃であった武恵妃が倒れ、その命の灯を消すと、息子である李瑁の立場も変わってしまった。
翌年には、力のある宦官の推挙で、玄宗皇帝の三男が皇太子となり、李瑁は次期皇帝への道から外れてしまったのだ。
「何をお嘆きになるのです? 皇太子であろうがなかろうが、あなた様はあなた様ではございませぬか」
「……」
やはり、男という生き物は、いつの時代も、愛より地位の方に、重きを置いているものなのだろうか。あれほどに屈託なく、香月を愛している、と言ってくれた、李瑁でさえも……。
それなら――。
それが李瑁の望みであるのなら、ここを去る前に、その望みを叶えてやるのもいいかも知れない。この変わらぬ姿では、何十年も彼に添えるわけではないのだから。
彼に次期皇帝の地位を――。
香月は、消沈する李瑁に気付かれぬよう、彼の父である玄宗皇帝の元へと足を運んだ。
赤眼を使い、唐の第九代皇帝、玄宗の寵愛を得ることは簡単だった。
玄宗は、香月を皇后と同じ――いや、それ以上に扱い、瞬く間にその美しさと魅力に溺れて行った。
無論、息子の妃を寝とった、と噂される訳にはいかないため、内々の関係ではあったのだが。それでも月日が経てば、全てが知れる。
玄宗が開き直ったように、香月に貴妃の位を与え、側に置くことを決めるまでに、その事実は誰もが知るところとなっていた。
楊玉環、という名で嫁して来た香月が、皇子の妃である『寿王妃』から、皇帝の貴妃である『楊貴妃』という呼び名に変わるまで、公には数年の時間だった。
もちろんそれは、李瑁の耳にも伝わった。
「何故……? 何故、私を裏切ったのだ、玉環……? 何故、父帝と……?」
すがるような――いや、憎しみにも似た李瑁の瞳は、この先も忘れることが出来ないだろう。
今にも泣き出してしまいそうな、そして、刺し違えて倒れようとするような眼差しだった。
「何故……? それを私に御聞きになりますのか? 貴方様が欲しかったのは、次期皇帝の地位のはず――。今の私なら、いつでも貴方様の望むものを、帝に進言することが出来ますのに――」
「要らぬ! そなたが私の側にいないというのに、誰が帝になどなりたいものか!」
李瑁の肩は、口惜しさに震えていた。
「寿王様……?」
「私は……そなたを皇貴妃にしてやれぬことだけが悔しくて……」
「――」
「それだけが無念で、情けなくて……」
「そんな……。そんなこと……」
胸を一掴みされるような言葉だった。
李瑁のため、と思ってしたことだったのだ。
李瑁が皇帝の地位を望むのなら、自分が玄宗に取り入って、李瑁の望みを叶えてやろうと――それだけを思ってのことだったのだ。
それが……。
李瑁の願いは、香月を皇貴妃として、この国で一番身分の高い女にしてやること――。自分の地位を望んでのことではなかったと。
李瑁の無念は、香月を皇貴妃の地位に就けてやれなかったことだけ――。そんな、香月が望んでもいないことだったなど……。
どうして、そう口に出して云ってはくれなかったのだろうか。――いや、自分も訊かなかったではないか。
言わなかったではないか。
地位ではなく、自分だけを求めてくれ、とは――。
ただの一言――とても大切なことが言えなかったばかりに、心はこうしてすれ違ってしまった。
今までの男たちと同じように、李瑁も地位を望むものとばかり思ったことが、こんな切ない結果に終わってしまうなど……。
「そなたは、私にはもう手の届かぬ玄宗皇帝の貴妃……。私には与えてやれなかった、高貴な身分……」
「……」
――要らなかった。
こんな身分が欲しかったわけでは、決して、なかった。
楊貴妃と呼ばれるよりも、寿王妃として、李瑁の側にずっと添っていたかった。――いや、今更言っても、詮無いことだろう。
もう、自分は李瑁を裏切ってしまったのだから……。
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