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十一夜 猩猩(しょうじょう)の娘

十一夜 猩猩の娘 5

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「なんだ、そのサル?」
 川から戻ってきた哥哥あに、新夏に訊かれ、
「う、うん……」
 と、香月が返事に困っていると、
「キキっ」
 と、甲高い声を上げて、子ザルが新夏の肩に跳び移った。
「うわっ! ――何だ、こいつ。人に懐いてる」
 要領が良いというのか、子供の扱いに慣れているというのか、子ザル――玲玲リンリンと名付けた子ザルは、あっと言う間に新夏のことも手懐けてしまった。
 それからというもの、いつも香月の側で過ごし、人の姿に変わることもなく、子ザルとして振舞い、香月もいつの間にか、その子ザルがただの子ザルでないことも忘れかけていた。
 そんな日々が続く中……。
 考えてもいないことだった。養母である宇春の乳の出が悪くなり、段々と、そして急速に、母乳の量が減って行くなど――。
 膝に乗って吸いついても、満足できるほどの量は出ず、喉の渇きも癒されない。――いや、喉の渇きが癒されるのは、乳を含んでいる時だけで、その後はすぐに渇きが訪れるのだが――。
 それでも今までは、我慢が出来る渇きだった。飢えと呼べるような飢餓も訪れなかった。
 だが、最近は口の中が干上がった湖沼のようにカラカラで、凄まじい飢えに襲われることも間々あった。それと関係があるのかは判らないが、歯がむず痒いような、違和感があるような、そんな感覚も芽生えていた。
「乳が飲みたい……」
 一人、裏山の木陰で呟くと、
「それは、母乳が血液から作られているからです」
 ずっと何も喋らずに過ごしていた子ザル――玲玲が、不意に耳元で小さく囁いた。
「え?」
 喋ったことも驚いたが――しばらくぶりなので忘れていたのだ――、玲玲が口にした言葉にも、戸惑った。
「子供が大きくなれば、母親の乳は出なくなるもの――。だからこそあの御方も、わたしをあなたの元へ使わされた」
「……どういうこと?」
 人間の中で、育ったのだ。
 人間以外のもののことなど、知る由もなかった。
 神や魔物の話はたくさん聞いたが――特に悪戯をした時など、妖怪もののけの話で、應欽によく窘められたものだ。悪いことをする子のところには、こんな恐ろしい化け物が来る、と――。もちろん、自分がその化け物の側に位置付けられていることなど、考えもしなかったが……。
「あなたが『普通の食べ物で過ごせる体質』なら、あの御方もご心配はなさらなかったでしょう。ですが、あなたは『死に切れぬ一族』の血を濃く引き過ぎている。糧となる血――母乳がなければ、人々を襲い始めるように……」
「おそう? 私が?」
 そんなことが、あるはずがない。
 大好きな新夏や、養父、養母、自分を神の御子と慈しんでくれる村の人たち……母乳を口に出来なくなったからと言って、その人たちを襲うなど――。第一、年端もいかない子供である香月が、どうやって村人たちを襲うというのだろうか。
「大丈夫。わたしがいます。そのためにあの御方に育てられたのですから――。お側にいるだけで、魂さえも千々に砕けそうになるほどの、愛しい御方に……」
「……」
 香月には、いつも玲玲の言う言葉の意味が、判らなかった。
 何か肝心な部分が欠けている。
 訊かなくてはならないことがあるのに、どうしても怖くて、それが訊けない。そんな現実逃避のような自身の心に、わずか五歳の香月が気付けなかったのも無理はない。
「飢えが酷い時は、必ずわたしにおすがりください」
「……?」
 玲玲にすがって――彼女が何をしてくれる、というのだろうか。今日のように話し相手になってくれ、気を紛らわせてくれるとでも――。そんなことでは、少しも喉は潤されないというのに……。


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