264 / 533
十一夜 猩猩(しょうじょう)の娘
十一夜 猩猩の娘 5
しおりを挟む「なんだ、そのサル?」
川から戻ってきた哥哥、新夏に訊かれ、
「う、うん……」
と、香月が返事に困っていると、
「キキっ」
と、甲高い声を上げて、子ザルが新夏の肩に跳び移った。
「うわっ! ――何だ、こいつ。人に懐いてる」
要領が良いというのか、子供の扱いに慣れているというのか、子ザル――玲玲と名付けた子ザルは、あっと言う間に新夏のことも手懐けてしまった。
それからというもの、いつも香月の側で過ごし、人の姿に変わることもなく、子ザルとして振舞い、香月もいつの間にか、その子ザルがただの子ザルでないことも忘れかけていた。
そんな日々が続く中……。
考えてもいないことだった。養母である宇春の乳の出が悪くなり、段々と、そして急速に、母乳の量が減って行くなど――。
膝に乗って吸いついても、満足できるほどの量は出ず、喉の渇きも癒されない。――いや、喉の渇きが癒されるのは、乳を含んでいる時だけで、その後はすぐに渇きが訪れるのだが――。
それでも今までは、我慢が出来る渇きだった。飢えと呼べるような飢餓も訪れなかった。
だが、最近は口の中が干上がった湖沼のようにカラカラで、凄まじい飢えに襲われることも間々あった。それと関係があるのかは判らないが、歯がむず痒いような、違和感があるような、そんな感覚も芽生えていた。
「乳が飲みたい……」
一人、裏山の木陰で呟くと、
「それは、母乳が血液から作られているからです」
ずっと何も喋らずに過ごしていた子ザル――玲玲が、不意に耳元で小さく囁いた。
「え?」
喋ったことも驚いたが――しばらくぶりなので忘れていたのだ――、玲玲が口にした言葉にも、戸惑った。
「子供が大きくなれば、母親の乳は出なくなるもの――。だからこそあの御方も、わたしをあなたの元へ使わされた」
「……どういうこと?」
人間の中で、育ったのだ。
人間以外のもののことなど、知る由もなかった。
神や魔物の話はたくさん聞いたが――特に悪戯をした時など、妖怪の話で、應欽によく窘められたものだ。悪いことをする子のところには、こんな恐ろしい化け物が来る、と――。もちろん、自分がその化け物の側に位置付けられていることなど、考えもしなかったが……。
「あなたが『普通の食べ物で過ごせる体質』なら、あの御方もご心配はなさらなかったでしょう。ですが、あなたは『死に切れぬ一族』の血を濃く引き過ぎている。糧となる血――母乳がなければ、人々を襲い始めるように……」
「おそう? 私が?」
そんなことが、あるはずがない。
大好きな新夏や、養父、養母、自分を神の御子と慈しんでくれる村の人たち……母乳を口に出来なくなったからと言って、その人たちを襲うなど――。第一、年端もいかない子供である香月が、どうやって村人たちを襲うというのだろうか。
「大丈夫。わたしがいます。そのためにあの御方に育てられたのですから――。お側にいるだけで、魂さえも千々に砕けそうになるほどの、愛しい御方に……」
「……」
香月には、いつも玲玲の言う言葉の意味が、判らなかった。
何か肝心な部分が欠けている。
訊かなくてはならないことがあるのに、どうしても怖くて、それが訊けない。そんな現実逃避のような自身の心に、わずか五歳の香月が気付けなかったのも無理はない。
「飢えが酷い時は、必ずわたしにおすがりください」
「……?」
玲玲にすがって――彼女が何をしてくれる、というのだろうか。今日のように話し相手になってくれ、気を紛らわせてくれるとでも――。そんなことでは、少しも喉は潤されないというのに……。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編
欲しいものはガチャで引け!~異世界召喚されましたが自由に生きます~
シリウス
ファンタジー
身体能力、頭脳はかなりのものであり、顔も中の上くらい。負け組とは言えなそうな生徒、藤田陸斗には一つのマイナス点があった。それは運であった。その不運さ故に彼は苦しい生活を強いられていた。そんなある日、彼はクラスごと異世界転移された。しかし、彼はステ振りで幸運に全てを振ったためその他のステータスはクラスで最弱となってしまった。
しかし、そのステ振りこそが彼が持っていたスキルを最大限生かすことになったのだった。(軽い復讐要素、内政チートあります。そういうのが嫌いなお方にはお勧めしません)初作品なので更新はかなり不定期になってしまうかもしれませんがよろしくお願いします。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
失われた力を身に宿す元聖女は、それでも気楽に過ごしたい~いえ、Sランク冒険者とかは結構です!~
紅月シン
ファンタジー
聖女として異世界に召喚された狭霧聖菜は、聖女としての勤めを果たし終え、満ち足りた中でその生涯を終えようとしていた。
いや嘘だ。
本当は不満でいっぱいだった。
食事と入浴と睡眠を除いた全ての時間で人を癒し続けなくちゃならないとかどんなブラックだと思っていた。
だがそんな不満を漏らすことなく死に至り、そのことを神が不憫にでも思ったのか、聖菜は辺境伯家の末娘セーナとして二度目の人生を送ることになった。
しかし次こそは気楽に生きたいと願ったはずなのに、ある日セーナは前世の記憶と共にその身には聖女としての癒しの力が流れていることを知ってしまう。
そしてその時点で、セーナの人生は決定付けられた。
二度とあんな目はご免だと、気楽に生きるため、家を出て冒険者になることを決意したのだ。
だが彼女は知らなかった。
三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。
知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。
※完結しました。
※小説家になろう様にも投稿しています
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
約束の子
月夜野 すみれ
ファンタジー
幼い頃から特別扱いをされていた神官の少年カイル。
カイルが上級神官になったとき、神の化身と言われていた少女ミラが上級神官として同じ神殿にやってきた。
真面目な性格のカイルとわがままなミラは反発しあう。
しかしミラとカイルは「約束の子」、「破壊神の使い」などと呼ばれ命を狙われていたと知る事になる。
攻撃魔法が一切使えないカイルと強力な魔法が使える代わりにバリエーションが少ないミラが「約束の子」/「破壊神の使い」が施行するとされる「契約」を阻む事になる。
カタカナの名前が沢山出てきますが主人公二人の名前以外は覚えなくていいです(特に人名は途中で入れ替わったりしますので)。
名無しだと混乱するから名前が付いてるだけで1度しか出てこない名前も多いので覚える必要はありません。
カクヨム、小説家になろう、ノベマにも同じものを投稿しています。
記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
西遊記龍華伝
百はな
歴史・時代
ー少年は猿の王としてこの地に君臨したー
中国唐時代、花果山にある大きな岩から産まれた少年は猿の王として悪い事をしながら日々を過ごしていた。
牛魔王に兄弟子や須菩提祖師を殺されその罪を被せられ500年間、封印されてしまう。
500年後の春、孫悟空は1人の男と出会い旅に出る事になるが?
心を閉ざした孫悟空が旅をして心を繋ぐ物語
そしてこの物語は彼が[斉天大聖孫悟空]と呼ばれるまでの物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる