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十一夜 猩猩(しょうじょう)の娘
十一夜 猩猩の娘 3
しおりを挟む普通、赤子というのは、数か月目から粥や柔らかい食べ物を口にし始めるものなのだが、その赤子に限っては、何を口元に近づけようが、母乳以外を口にはしなかった。
赤子――黄香月、と、黄帝の名を姓にもらい、美しい名前で呼ばれるようになった赤子は、その名の通り、陽光よりも月を好み、日が暮れるといつまでも眠らず、かと言ってぐずって手間をかけるわけでもなく、愛らしい眼で、よく月を眺めていた。
そんな、ある日――。
月さえ霞むような美しい青年が、應欽の住処に姿を見せた。
銀色の髪を月の光できらめかせ、異国の文化を見るような高貴な衣装を身にまとい、神としか思えない造形で、風景のように、庭先に静かに佇んでいたのだ。
月の神か――最初はそう思ったものの、その人物こそ、この黄色い大地と黄色い河の神、黄帝であると、次の刹那には確信していた。
應欽が礼も忘れて立ち尽くしていると、その麗紳は、手のひらに握る小さな杭のようなものを差し出した。――いや、小ぶりとはいえ、杭そのものである。畑に獣避けの囲いを作る時に刺す杭を、そのまま縮めたような形状だった。
「これは……?」
應欽が戸惑って問い返すと、
「我が娘――そなたらが香月と名付けた娘を、唯一、滅ぼすことが出来る沈香の杭だ」
月から洩れ響くような響きの声が、不思議な言葉を口にした。
滅ぼす――そう言ったのだろうか、その美しき大地の神は。
己の娘の命を、唯一、奪うことが出来る杭であると――。
「あの……?」
「我が娘が、そなたらの手に余るようになった時、心の臓に突き立てるがよい。それが、その娘の母の望みだった」
「……?」
何を聞いても、何度聞いても、全く理解できない言葉だった。
「あなた様の……黄帝様の御子を、わたしに殺せと……?」
そんな畏れ多い言葉を発して良いものかどうかも解らなかったが、意味を解せていないことを伝えるためには、必要だった。
「我が娘は殺せぬ。死に切れぬ宿命を背負っている故に――、滅ぼす以外に手立てはない」
殺せないから、滅ぼす――その言葉の意味も、また不可解であったが、杭はいつの間にか應欽の手のひらに握らされていた。
何より、何故、自分が黄帝の御子を滅ぼさなくてはならないのか――。それを尋ねようとしたが、その時にはすでに、黄帝の姿は月の降り注ぐ庭先から消えていた。
手のひらには、幼い子供の命を奪うのには充分な、鋭い杭が収まっている。
沈香の杭――黄龍の渓谷に降り立った、黄色い大地の帝王は、そう言った。
――手に余るようになった時に……。
「そんなことがあるものかっ。黄帝様の御子を持て余す時が来るなど」
應欽は、忌むべきものでも睨みつけるように、手の中の杭を見つめていた……。
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