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十夜 和氏(かし)の璧(へき)

十夜 和氏の璧 5

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 二人が案内されたのは、門を含めて七八六棟あると云われる紫禁城の建造物の一つで、書き物机と寝台だけが置かれた、質素で飾り気のない一室であった。
 いや、この紫禁城の住人は、正確には皇帝と皇太子と未封の皇子だけで、他の者たちは正式な住人とは認められない。
 ただ皇帝のために働けるよう、ここに寝泊まりしているだけである。
「あ、あの――、本当に私めの部屋などで宜しいのでしょうか、女魃様?」
 まだ雨の雫をポタポタと落すままの恰好で、相変わらずへりくだって頭を下げながら、その人物は言った。
 人物――いや、まだ少年である。恐らく、舜よりも年下ではないだろうか。十四、五歳に思えるが、小柄で、声変りも迎えてはいない。
「――っていうか、タオルか何かないのか? それに、その女魃って何なんだよ?」
 早速、厚かましくも濡れた体を拭くものを要求し、人にものを尋ねているとは思えないデカイ態度で、舜は言った。
「も、申し訳ございません! すぐにご用意を――」
 少年は竹で編んだ衣装籠の中から手拭を取り出し、
「お召し替えは、このようなものしか……」
 と、自分が持っている物の中で、一番いい袍子パオツを二人に渡した。
「オレはともかく――サイズ的に無理だろ」
 舜には少しきつめ、というくらいだが、デューイには……。
「ム、無理かな……」
「父の形見で、あまりいいものではないのですが、これなら――」
「形見なんて、申し訳なくて着れないよっ!」
「ですが――」
「何か羽織れるようなものがあれば……」
 結局、寝巻くらいしかなく、デューイはそれを着ることにして……。
 二人が体を拭き、着替える間も、少年はその御姿を見てはいけない、とでも言うように、ずっと地面にひれ伏していた。
 もちろん、そんな健気な少年を見て、デューイが黙っているはずもない。
「君も体を拭いて着替えないと――。手もおでこも泥だらけだし」
 と、汚れた顔を拭いてやる。
「そ、そのような、もったいない――っ」
 何か大きな誤解をしているようだが、その誤解の発端を聞くのは、彼が体を拭いて、着替えてからのこととなった。
 女魃――というのは、旱魃の女神のことで、そのばつの神が側にいるだけで、周囲に旱魃をもたらし、雨の恵みを遮るという忌むべき女神らしい。
 突然、止んでしまった雨の向こうに、美しい人外の麗人(舜である)が現れたものだから、彼は舜を女魃であると思い込んでしまったのだ。
「はあっ? なんだよ、それ。――って、オレ、女じゃないし」
「舜、問題はそこじゃないと思う……」
 デューイの言葉は尤もである。
「そ、そうなのですか? あまりにお美しいので……。それに、女魃様は黄帝様の御子のお一人で、女神であられると伝わっておりましたので、まさか男神であるとは……」
 ――黄帝。
 その名前に、舜がピクリと反応したことは、言うまでもない。
「クソっ! やっぱりあいつの罠か」
「は?」
 もちろん、少年には何の事だか解らない。
 彼はただ、二人の人影を目に止めた途端、凄まじい勢いで降っていた雨が瞬く間に上がり、その晴れ間の光の中に、世にも美しい神と見紛う舜の姿が現れたものだから、これは伝説の女魃様が降臨されたのだ、と思い込み、地面にひれ伏してしまっただけなのだから。
 あの雨を瞬時に遠ざけたのは、魃の神である女魃のなせる術に違いない、と……。


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