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九夜 死霊の迷霧(めいむ)
九夜 死霊の迷霧 17
しおりを挟む「舜……。違うのですよ。母さまは――」
そう言いかけた碧雲の言葉を、黄帝が、傍らから片手を上げて、遮った。
「ですが……」
「いいのですよ、碧雲。あなたがこれ以上、傷つく必要はありません。舜くんは男の子なのですから、きっと、あなたの代わりに傷ついてくれるでしょう」
その黄帝の言葉に、舜は、ギュっ、と体を縮めた。
碧雲の代わりに、苛められるかも知れない、と思っていた。それでも――また崖から落とされても、碧雲の前から退いたりしない、と決めていた。
「ですが、舜はまだ、三つの子供で……」
「私とあなたの子供です。――それでもまだ不安ですか?」
黄帝は訊いた。
「いいえ……。いいえ。あなたのお側で育てていただくこの子に、何の不安がありましょうか。きっと、立派に成長してくれる、と信じております」
「……かーさま?」
舜は、二人の会話に訳が解らず、首を傾げた。
同時に、たとえようのない不安も、込み上げていた。
「舜……。母さまは、街で暮らすことに決めたのです」
「え……?」
「ごめんなさいね……母さまを許し……」
「ぼくは? ぼくも、かーさまといっしょに、行ってもいいの?」
胸が壊れそうなほどに、鼓動が激しく、脈打っていた。
それでもまだ、一緒に連れて行ってもらえる、と信じていた。
だが――。
「いいえ……。いいえ、舜……。あなたは、お父さまとここで暮らすのです」
それ以上の衝撃は、後にも先にも、あり得なかった。
頭の中が真っ白になるような、とても言葉では表せない、刹那、であった。
「か……さま……?」
「いつか、母さまが強くなれたら……」
「いやだっ! ぼくも、かーさまといっしょに行くっ。ちゃんと太陽の下も歩いて、人も咬まないようにするから――だから、おいて行かないで!」
「舜……」
「ぼくも、かーさまといっしょに行く! ぜったい、いっしょに――」
不意に、口の上に、長い指が、被さった。
「ん――」
口を塞がれ、抱き上げられて、舜は大きく目を瞠った。
「舜くん。碧雲を困らせるものではありませんよ」
黄帝が言った。
「ん……っ!」
舜は、暴れ回り、涙を流してもがき続けたが、それでも黄帝の手は、離れなかった。
「黄帝様……」
「勘の良い子で困ってしまいますねぇ。何かあると、決まって起き出して来て――。お陰で、こんなに早く、お別れすることになってしまいました」
「ん――っ!」
「まあ、こうなった以上、長くいても辛いだけでしょう。行ってください、碧雲」
優しい口調で、黄帝は言った。
舜には、黄帝が碧雲を追い出している、としか見えなかった。
「……ありがとうございます、黄帝様。――舜、お父さまのおっしゃることを、よく聞いて……いい子に……。母さまが……あなたを愛していることを……あなたと、お父さまを……」
柔らかい唇が、舜の髪に、静かに、触れた。
舜は、心が張り裂けそうな思いで、その口づけを、受け止めた。
力の限り暴れ回ったが、今日に限って、黄帝の腕は、ほんのわずかも緩まなかった。
ただ、涙ばかりが、溢れ続けた。
あの日の碧雲の言葉が――長くは共にいられない、という言葉が、頭の中に、過っていた。
もちろん、それが何故なのかは、今の舜には、解らなかった。
碧雲の姿が、ドアの向こうへと、静かに消えた。
舜は、声のない叫びを上げ続けたが、碧雲が戻って来てくれる様子は、全く、なかった。
顔は、もう涙でグシャグシャだった。
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