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九夜 死霊の迷霧(めいむ)

九夜 死霊の迷霧 7

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「いやだあああっ! 放せったら――っ。ぼくは外になんか出たくないんだああっ」
 月の如き玲瓏な青年に抱き上げられる中、舜は、バタバタと手足を振り回して、暴れまくった。
 今は昼――外は、まだ太陽が輝く時間である。
「大丈夫ですよ。今は冬の季ですから、陽差しもそう強くありませんし、朝陽よりも、ずっとマシなはずですから――。それに、少しずつ体を慣らしていかないと、いずれ、街に出るようになった時、苦労をしますよ」
 相変わらずののんびりとした口調で、黄帝は言った。
「街……?」
「ええ。街では、人々は昼間、活動をしているのです。その昼間に出歩けないのでは、とても不便な思いをすることになるのですよ」
「……ホントに?」
 と、舜は、傍らに立つ、碧雲の方を、心細げに見上げた。
 父親の言うことは信用できないのだが、母親の言うことなら、信用できてしまうのである。
「ええ。お父さまのおっしゃる通りですよ、舜。あなたは、お父さまと同じように、より過去の姿に近い体質を持っているので、慣れるようになるまでは大変でしょうが……。必ず、頑張ってやり遂げてくれると、母さまは信じていますよ」
「……。ぼく、がんばる」
 素直ないい子である。
 かくして二人は、標高一九〇〇メートルにも達する奇峰の最高峰から、冬の陽差しの降り注ぐ外へと出ることになった――のだが、
「やだああ――っ! いたいっ。体、いたいっ!」
 外に出るなり、舜は、初めてまともに浴びる太陽の痛さに、黄帝の腕の中で、暴れまくった。
 その痛みときたら、皮膚がヒリヒリと焼け付くようで、服に擦れただけで、焼け爛れた部分の皮が、剥がれて行くようで――とても言葉に表せるようなものでは、なかった。
 目は、眩しさのあまり、開けてもいられないし、体中の血管に、氷を流されているような、悪寒を感じる。
「ほら、駄目ですよ、舜くん。暴れては――」
「やだあ――っ! 帰るっ。家に帰る! 放せっ。放せったらああ――っ!」
「放せ……と言われても、ここは……」
「ぼく、街なんか行かなくてもいいもんっ! 放せったら――っ」
 舜は、めくら滅法、手足を振り回し、幼子にありがちな、加減のなさで、暴れまくった。
 もちろん、それでも黄帝には敵いはしないのだが――いや、そのはずなのだが、
「あ」
 と、いう、何とものんびりとした声と共に、舜の体は、黄帝の腕から、抜け落ちていた。
 当然、その次に待つものは、急速な落下である。ここは、標高一九〇〇メートルにも及ぶ、奇峰の最高峰なのだから。
 舜は、地球の引力に引き寄せられるままに、幻想的な雲海の中へと、突っ込んだ。
「おや、もう見えませんね」
 は、言わずと知れた、黄帝の言葉である。
 この父親、息子を標高一九〇〇メートルにも及ぶ断崖から落としてしまった、というのに、慌ててもいない。――いや、彼は慌てることなど、ないのだろう。何しろ、何世紀生きているのかも判らない、化け物なのだから。
 どんな生き物でも、あまりに長く生き過ぎると、とんでもない化け物になってしまうのだ。
「この高さからだと、やっぱり死んでしまうでしょうねぇ……」
 そう思うのなら、さっさと助けに行けばいい、と思うのだが、行かないのである、この青年。
 獅子は、千尋の谷から子供を落とし、登って来た子供だけを育てる、というが、もしかすると、その獅子は、この青年の姿を見て、そんな方法を覚えたのではないだろうか。
 しかし、死んでしまっては、元も子もない。――いや、確か舜には、翼があったのではなかっただろうか。
 もちろん、落ちた当人である舜も、すぐにそれを思い出し――いや、思い出し、というより、翼があることは、舜にとっては当たり前のことだったので、雲海に突っ込んですぐに、その翼を開いていた。
 急速な落下も、そこで、止まる。
 しかし、体の痛みまでは、止まらない。
「あーんっ、いたいよ、かーさまっ。かーさま――っ」
 と、ピコピコと翼を動かしながら、頑張って雲海の上へと、昇り始める。
 何しろ、碧雲には翼がないのだから、舜のところまで慰めには来てくれないのだ。
 雲海から顔を出すと、太陽の光が、眩しく注いだ。同時に、その光を浴びた翼が、薄い部分から、焼け始める。虫に食われた葉のように、葉脈を残すような形で、焼け始めたのだ。
 それでも舜は、飛ぼうとしたが、それは空しい努力であった。
 あっと言う間に焼け崩れた翼は、風を掻くことも出来ずに、骨となった。
 舜も、ズボ、っと、再び雲海の中へと突っ込んだ。
 あとは、急速な落下である。岩につかまって落下を止めようともしたが、それも、擦り傷を作ってしまうだけの結果に、終わった。
「あーんっ、こわいよ、かーさまっ! かーさまあああ―― っ!」
 と、繰り返し、母親を呼び続けたが、それも碧雲に届くことなく、また、黄帝が助けに来てくれる様子もなく、舜は一向ひたすら、崖下に落ち続けていた。
 その頃、黄帝は何をしていたのか、というと、
「うーん……」
 と、腕を組んで考え込んでいたので、ある。
「舜くんの自業自得といえば、自業自得のような気もしますし……手を放した私が悪い、といえば、私が悪いような気もしますし……。難しい問題ですねぇ……」
 と、また、いつか聞いたような台詞を、吐いている。
 この父親、正真正銘の化け物かも、知れない……。


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